横綱・照ノ富士の3場所休場明けの復活優勝で15日間を終えた大相撲初場所。千秋楽に2敗を守った関脇・琴ノ若との優勝決定戦を制して照ノ富士が優勝したが、敗れた琴ノ若も過去3場所33勝に届いたことで、大関昇進が確実となった。活躍すべき上位陣が優勝争いを繰り広げ、館内は沸きに沸いた。
今場所も新入幕の大の里(西前頭15)や阿武咲(西前頭14)、琴勝峰(東前頭14)といった下位力士が活躍し、終盤に上位陣へぶつけられて勢いが止まる恒例のパターンはあったものの、横綱、大関、関脇の上位陣が終盤に優勝争いをするという本来の番付相撲の場所となった。
12日目を終えて1敗だった琴ノ若を2敗で照ノ富士と霧島、豊昇龍の2大関が追いかける展開に。そこから総当たり的な潰し合いが始まり、照ノ富士と琴ノ若が2敗、霧島が4敗で本割の土俵を終えるかたちとなった(ケガで14日目から休場の豊昇龍は4敗1休)。優勝決定戦では、立ち合いで琴ノ若がもろ差しのかたちになって勝機を見出すかとも思われたが、最後は照ノ富士が寄り切りで勝利。館内は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「ガチンコ全盛ならではの結末。これが板井さんのような人がいる時代なら、違った結末になっていたんじゃないか」と話すのは、ある元親方だ。「板井さん」とは、元小結の板井圭介氏(2018年死去)。1980年代に八百長相撲を『中盆』(なかぼん=仲介・工作人)として取り仕切った人物だ。
板井氏は本誌・週刊ポストの取材に「当時は横綱昇進や大関昇進では八百長力士が結束してバックアップしたものだ。八百長は必要悪だった」と話していた。元親方はこう話す。
「12日目で同じモンゴル出身の横綱と大関2人が2敗で並んでいて、そのうちの大関1人が綱取りという今回のようなシチュエーションで、板井氏のような中盆が存在していたとすれば、3力士の直接対決を1勝1敗で回したのではないか。3人全員が琴ノ若に勝てば、12勝3敗の1横綱・2大関の巴戦になる。それを綱取りの霧島が制すれば2場所連続優勝で横綱昇進になるし、照ノ富士は優勝同点で復活を印象づけられる。豊昇龍も綱取りへの足がかりになってすべて丸く収まる。しかし、今場所はそうした予定調和の結末には全くならなかった」