【書評】『隆明だもの』/ハルノ宵子・著/晶文社/1870円
【書評】平山周吉(雑文家)
文学者を娘の目から回想した名作はあまたあるが、本書はそれらを上まわる傑作ではないか。父親は強靭な思想家・詩人の吉本隆明、娘は長女で漫画家のハルノ宵子(次女の吉本ばななとの「姉妹対談」も収録)。『隆明だもの』というタイトルが、突き放した、それでいて愛のないこともない、東京下町の照れを伝えている。
晶文社から刊行中の『吉本隆明全集』(全38巻)の月報に書かれた文章が中心で、想定される第一読者を熱烈な吉本主義者、熱心な隆明読者の“おじ様方”とし、彼らへの肩すかしの気味も多分にある。著者は全集刊行の挨拶文で、「ぜひこの全集をあなたの書斎に、より“箔”を付ける為の小道具として、あるいは高さ調節自由の昼寝用枕として、全巻ご購入頂くことを希望します」なんて書いていた。
尊敬され過ぎる思想家は、「対幻想」(『共同幻想論』)の場である家庭内では如何なる夫、父親としてあったのか。その家はまた吉本の個人誌「試行」の発行場所でもあったから、「父の信奉者」が自由に出入りしていた。事務を担ったのは病弱な母で、父はよくこぼした。「お母ちゃんは他人には優しく家族にはキビシイ」。病弱な妻に代わり家事をこなし、買い物籠を提げた思想家の姿も内側から見ると「お父ちゃん」と化す。
吉本は一九九六年の夏に西伊豆の海で溺れた。その日は「狂想曲」として回顧されるが、娘は父の仕事を「どうしても“溺れる前と後”になってしまう」とし、溺れた後は「“還り”の仕事にシフト」したと書く。溺前に語られ、溺後に出た本としては『夏目漱石を読む』があった。『隆明だもの』を読むと、漱石論の『猫』『門』『道草』は吉本家を髣髴とさせる。猫は本書の主要登場動物だが、本書は吉本家の『道草』であろう。
「彫刻のような手」とか、「漁師のように浅黒く焼けた、筋肉質の形の良い脚」といった父のデッサンも時に混ざる。それでも本書を強く貫くのは、「日本人の99.6%位」は吉本隆明たちの名前を全く知らないという常識の目である。
※週刊ポスト2024年2月9・16日号