1月17日に開かれた記者会見で、4月から日本航空(JAL)の新社長に代表取締役専務執行役員の鳥取三津子氏(59)が就任すると発表された。国内の大手航空会社で初の女性社長就任となる。入社時に日航ジャンボ機墜落事故を目の当たりにしたという鳥取氏は、2日に発生した羽田空港での衝突事故の後ということもあってか「当時を知るものとして、安全運航を次世代に継承していく強い責任感がある」と力強く語った。
「CA出身」としても初の社長となる鳥取氏は、活水女子短大(長崎)を卒業後、1985年に東亜航空(後の日本エアシステム=JAS。2004年にJALに統合)に入社。その後、着実にキャリアを積み上げてきた。JALの元国際線チーフパーサーで航空評論家の秀島一生氏が言う。
「鳥取氏は客室本部長としてコロナ禍で仕事が激減したCAを企業や自治体に出向させる取り組みなどを主導して評価されました」
鳥取氏のリーダーシップはJAS時代に培われたようだ。元JALのCAで日本CA協会会長の真山美雪氏が語る。
「JALには男性のチーフパーサーも多いですが、JASの乗務員はほとんど女性だった。そこでCAたちを束ねる存在だったと聞いています」
「私がやっておくから」
鳥取氏がJASで新人訓練を担当教官だった際に指導を受けた後輩CAはこう振り返る。
「軍隊のように厳しい方も多かったが、鳥取さんは常に淡々とされていた。訓練でつなぎを着る時もボブの髪型とお化粧が完璧で、まさに『クールビューティー』という感じ。教官のお話として、『お客様を自分のおばあちゃんや自分の大好きな人だと思って接しなさい』とご指導をいただきました」
当時のCAは高卒から大卒まで経歴もバラバラだったが、鳥取氏は経歴にこだわらす背中で引っ張るタイプだった。
「誰に対しても分け隔てなく対応されていたのも好かれていました。自分が前に出て目立とうとするタイプではなく、『私がやっておく』と後輩の仕事を助けてくれる男前な方でした」(後輩CA)
鳥取氏とともに海外を訪れた際には「プロ意識の高さ」に驚いたという。
「シンガポールにフライトで行った際、夜の空き時間にみんなでご飯を食べに行くことになった。チーフだった鳥取さんもお誘いしたんですが、体調管理のために『私はマッサージを受けるから』とホテルで休まれていた。食事中みんなで『さすがだよね』と話していた」(同前)
今後も、高いプロ意識で空の安全を守ってほしい。
※週刊ポスト2024年2月9・16日号