天台宗の寺で僧侶から約14年にわたり性暴力の被害を受けていたとして、尼僧の叡敦(えいちょう)さん(55)が1月31日に記者会見した。叡敦さんは天台宗務庁に対し、加害者とされる60代のA住職と加害行為を手助けしたと指摘している師匠のB大僧正(80代)の僧籍剥奪を求める申し立てをしたと明らかにした。【前後編の後編。前編からつづく】
懲戒申し立てに添付された「陳述書」を入手して確認していくと、そこではA氏による性加害の詳細が綴られているばかりか、A氏が強制的な性暴力行為を認める「念書」まで存在することが明らかになった(A氏は筆者の取材に「そういう意味の念書ではありません」「(申し立ての根拠となる叡敦さんの被害の主張については)肯定もしません、否定もしません)と回答。詳細は前編参照)。
陳述書で主張されているところでは、師匠であるB氏も重大な責任を問われている。B氏は比叡山で7年間の厳しい修行を成し遂げた者だけに許された「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)」を名乗る高僧で、もともとは叡敦さんも「生き仏」と敬ってきた。
そもそも2009年に叡敦さんが最初にA氏の寺を訪ねたのは、亡くなった母の供養をしたB氏の指示によるもの。その数か月後にA氏による最初の意に反する性行為があり、繰り返し性交を強いられるようになった経緯が陳述書では詳細に訴えられている。
A氏から逃れようとする試みは、14年間の間に何度もなされていた。ただ、叡敦さんは取材に対し、警察に相談することはためらわれた、と語っている。「大ごとにしたくなかった。(天台宗の高僧であった祖父を継いだ)叔父さんのお寺や阿闍梨(B氏)のことを信じていた」(叡敦さん)というのだ。
「一切聞かないよ」
宗門を傷つけてしまうことを恐れた叡敦さんは、唯一、解決する力を備えたB氏に頼る。だが、期待は裏切られたという。最初の性加害から2か月後の2009年12月19日、滋賀県内のホテルの一室で叡敦さんとB氏が向き合った時の会話について、陳述書はこう記している。
〈B[編注・原典では実名、以下同]は部屋に入るなり、「Aの話だったら一切聞かないよ」と言い、私の訴えることを聞こうとはしてくれませんでした。むしろ、「とにかく、このことが公になったら困るから、お前は離婚しろ!」「(離婚のために)弁護士が必要であるのなら、何人でもつけてやる」「Aが欲しいものはいる、いらんものはいらない!」などといって取り合わず、すぐに部屋を出て行ってしまいました。(略)私は、信頼し尊敬していたBのそのような言動に触れ、ただただ、絶望しました〉(陳述書12ページ)