いつの時代もファンを魅了し続けてきた沢田研二(75才)。1月12日から31日にかけては、沢田にとって恒例の正月ライブ「沢田研二 正月LIVE 2024『甲辰 静かなる岩』」が開催されたが、ファンにとってはショックなシーンがあった。
「歌詞や歌い出しの間違いが多かったように思います。自分も含め、観客の多くは往年のファンですから、ちょっとした間違いでもすぐに気づいてしまう。正直、これまでもミスはゼロではなかったけどね……。今回は多かったから、見ているこちらがハラハラしちゃったよ」(70代男性のファン)
かねてより「80までライブをやる」と言ってきた沢田だが、MCでは視力や聴力が低下していることも告白。音程が外れて「ボロボロやったね」とつぶやく場面もあったが、沢田が弱気になったのは年齢のせいだけではなさそうだ。千秋楽の前日、彼の動揺を誘う大きな“事件”が起きていたのだ。
「『ザ・タイガース』のメンバーである瞳みのるさん(77才)が緊急入院していたのです。最近、瞳さんは食欲がなく、咳が止まらず歩くのもやっとという状態が続いていたそうです。そこで、近所の病院を受診したところ、大きな病院を紹介され、即入院。肺炎との診断を受け、しばらく療養に専念することになったのです。瞳さんは、2月3日に行われた自身がボーカルを務めるバンドのライブにも参加することができなくなってしまいました」(音楽関係者)
盟友の緊急入院が沢田の心に影を落としたことは想像に難くない。1966年に沢田をボーカルとしてスカウトしたその人こそ、瞳だったのだ。
「ザ・タイガースの原型は、瞳さん、森本太郎さん(77才)、岸部一徳さん(77才)、加橋かつみさん(76才)の4人で結成していた『サリーとプレイボーイズ』でした。瞳さんは沢田さんに『日本一になれる』と声をかけたのだそうです。沢田さんが加わり、翌67年にザ・タイガースとしてデビューすると、ヒット曲を連発。瞳さんの“予言”どおり、日本中を熱狂させるスターバンドとして歌謡界に名をはせたのです」(レコード会社関係者)
1971年にザ・タイガースが解散すると、瞳は芸能界を引退。大学に入学し勉学の道へ進む。以来、37年間、メンバーとは絶縁状態にあった。
「瞳さんを除くメンバーで再結成したことはありましたが、教師として高校の教壇に立っていた瞳さんが芸能界に戻ってくることはありませんでした。流れが変わったのは、2008年。当時のマネジャーの尽力によって瞳さんとメンバーとの再会が実現したんです。そこに至るまでには、沢田さんと岸部さんが作詞し、森本さんが作曲した『Long Good-By』の存在もあったそうです。
これは、瞳さんに呼びかける曲です。そして2013年、ついにオリジナルメンバーでザ・タイガースが復活してからは、瞳さんも舞台に上がるようになりました」(前出・レコード会社関係者)
沢田は昨年6月のバースデーライブにもスペシャルゲストとして瞳と森本、岸部を招き、これは「タイガースの“再結成”」と大きな話題を呼んだ。今回の正月ライブの後には、メンバーたちとある約束もしていたという。
「沢田さんは千秋楽に岸部さんと森本さん、そして瞳さんをライブに招待しており、終了後、皆で食事をする約束をしていたそうです。瞳さんはとても楽しみにしていたそうですが、入院中とあって、もちろんドクターストップ。残念ながら参加は叶いませんでした」(別の音楽関係者)
※女性セブン2024年2月22日号