かつてヒット曲を連発した中島みゆき(71才)と研ナオコ(70才)は、ある日を境にぱたりと交流が途絶えた。もう交わることはないと思われた運命の糸が、再び物語を紡ぎ出していた──。
いまから半世紀近く前、雲の上を飛ぶ飛行機の機内。なにげなく座席のイヤホンを手に取った研ナオコは、流れる歌声に固唾をのんだ。
聴こえてきたのは、中島みゆきのデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』。中島の名前すら知らなかった研は、初めて耳にするメロディーや歌詞に衝撃を受け、隣に座っていたマネジャーに「東京に戻ったら、すぐこの人に曲を書いてもらいたい」と懇願したという。
彼女はのちにこの出来事についてこう振り返った。
「『アザミ嬢』との出会いで私は変わった」
それが、およそ50年続く友情の始まりだった──。
今年3月6日、研は『中島みゆき作品BESTアナログ』を発売する。
「研さんにとって35年ぶりとなる新作レコード作品で、“研ナオコ、中島みゆきを歌う”がテーマです。中島さんが研さんに提供した曲のほか、中島さんがほかのアーティストに提供した曲、中島さん自身が歌う曲まで研さんが熱唱します。両者のファンが注目する作品と言えるでしょう」(音楽ライター)
意外と思われるかもしれないが、研と中島は強い絆で結ばれている。中島が楽曲提供した相手は工藤静香(53才)が24曲で最多だが、そのうち18曲は歌詞のみの提供。作詞も作曲も双方を担った楽曲では、研の15曲が最多だ。
研は1971年にデビューするもしばらくは鳴かず飛ばずの日々が続いたが、1975年の阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲の『愚図』が大きくヒットした。
中島は同年に前出の『アザミ嬢のララバイ/さようならさようなら』でデビュー。ちょうど『愚図』の発売直前、研が「次売れなかったら歌手をやめよう」と思い悩んでいた時期に偶然耳にしたのが、冒頭で触れた中島の歌声だった。
運命的な邂逅を経て、研から依頼を受けた中島は『あばよ』と『LA-LA-LA』を書き上げ、迎えた研のレコーディングの日、2人は初めて対面した。
レコーディングに関わった音楽関係者が語る。
「中島さんはスタジオの隅に小さくなって座っていて、スタジオ入りした研さんはその女性が中島さんだと気づかなかったほどです。お互いに人見知りな性格なので、ボソボソと挨拶を交わしただけで、会話は長く続かない様子でした」