警察や軍関係、暴力団組織などの内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、警察OBが語る50年前の忘れられない光景、三菱重工ビル爆破事件直後の現場について。
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「最期は本名で迎えたい」、50年近く逃亡生活を続けた容疑者はそうして入院先の病院で名乗り出たという。1970年代に連続企業爆破事件を起こし、世間を震撼させた過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70才)とみられる男だ。名乗り出たときの容疑者は末期がんに冒されており、その後、病院で死亡が確認された。公安関係者らは海外に逃亡しているものとみていたようだが、数十年にわたり、偽名を使い、神奈川県藤沢市内の工務店に住込みで働いていたという。
「この顔を見る度にどこにいるのか、何をしているのかと思い出した」というのは、桐島容疑者が卒業した学校の後輩だ。この顔とは、指名手配犯にある桐島容疑者の写真の顔である。「面識はないが、あの事件の印象は強烈だった。その事件を起こした犯人が同窓生の中にいる。そう考えると、この顔は忘れられなかった」という。
東アジア反日武装戦線は「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのグループからなり、それぞれが別々に行動、1974年から1975年に海外に進出しようとする日本企業を狙い、12件の連続企業爆破事件を起こしている。桐島容疑者はそのうちの「さそり」に属し、東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させたといわれる。そのため彼の罪状は爆発物取締罰則違反容疑だ。だがこの組織の連続企業爆破といえば、真っ先に三菱重工の爆破事件を思い出すのではないだろうか。事件を起こしたのは「狼」だが、桐島容疑者逮捕のニュースではこの時の映像が何度も流された。
「生きた心地がしなかった」。爆発現場となった三菱重工ビルに駆け付けた元刑事S氏は当時を振り返った。1974年(昭和49年)8月30日午後0時45分、東京・丸の内のオフィス街からすさまじい爆音が鳴り響いた。その音は、晴海の展示会場にまで響いてきたという。
そこにいた誰もが生きた心地がしなかった
その時、晴海で行われていた某国主催の展示場の警備にあたっていたというS氏は、何事が起きたかとその方向を振り向いた。爆発と同時に白煙が立ち上っていくのが見えたという。「東京駅の方向で爆発があったことはわかったが、まさかビルが爆破されたとは思わなかった」とS氏はいう。