1988年のソウル五輪100m背泳ぎで金メダルに輝いたことで、鈴木大地さん(56歳)の人生は一変した。【前後編の後編。前編からつづく】
「こうして今、取材を受けることもないだろうし、スポーツ庁の長官も務めていないでしょう。オリンピックの魅力とは、4年に一度という“刹那感”でしょうね。負けても『来年頑張ればいい』とはならない。だからこそ、アマチュアのアスリートはこの瞬間を大事にしようと思って、オリンピックに臨む」
2020年に予定されていた東京五輪を前に、スポーツ庁長官に任命され、国家公務員となった。
「最初の半年は慣れなかったですけど、意外とプレッシャーはなく、楽しく務めさせていただきました。大変だったことはそんなにないですけど、民間人が国家公務員に突然なった戸惑いはありました。たとえば、利害関係者とゴルフをやっちゃいけないという倫理規定があった。友達と、利害関係者との境目がわからなかったので、5年間でゴルフをやったのはたったの1回だけ。それも義父とでした。さすがにかみさんの親父は利害関係者じゃないだろう、と(笑)。本来ならば、自国開催のオリンピック、パラリンピックで、日本がたくさんメダルを獲って、『良かった、良かった』と言って終えるはずだったんですけどね……」
国家公務員規定で任期は5年。東京五輪の開催予定が、コロナ禍により1年延期になったことで、大会を前に任期満了で退任することになった。
「東京オリパラのために取り組んで来た強化策が、成功だったかどうかも評価されずに終わっちゃうわけだから、こんな無責任なことで良いのかなとは思いました。もしかしたら5年という決められた任期も、希望すれば延長することも可能だったかもしれませんが、そこまでしがみつくのもかっこ悪いかなと思って」
2021年の東京五輪は、無観客で実施され、スポーツの祭典とはほど遠い寂しい大会となってしまった。外から見た自国開催の五輪は、成功だったのだろうか。
「それは組織委員会の人に聞いてください(笑)。まあ、まともなオリンピックはさせてもらえなかったですよね。私がスポーツ庁長官時代に考えていたのは、東京オリパラの成功によって、スポーツの魅力が国民に伝わって、『オレもやろう』『私もやろう』と、国民のスポーツ実施率が上がって、健康になって国の医療費を適正の数値にして、浮いたお金をスポーツ予算に回すということだった。せっかくオリンピックを開催したのに、その検証もできなかったのは残念でしたね。もちろん、日本だからこそ、あのコロナ禍でも、オリンピックを開催できたとは言えるでしょうが」
スポーツ庁長官の仕事は無論、自国開催のオリンピックとパラリンピックに向けたものだけではなかった。在任した5年間で「スポーツの垣根を下げた」という自負を持つ。
「スポーツは選ばれたエリートだけがやるものという認識が少なからずあると思うんです。だけど、日頃のランニングや散歩も立派なスポーツであり、“みんなのスポーツ”であることを普及させたかった。『スニーカー通勤』なんかも推奨して、最近では革靴やヒールではなくスニーカーで通勤する人も増えているじゃないですか。スポーツ業界にとっても、これは良かったと思います」