【秘話発掘】八代亜紀さん、15歳の原点 初舞台となったキャバレーの大ママが振り返る“歌姫誕生”の瞬間
2008年から社長として切り盛りする池田義信氏。数ある八代さんの名曲のなか、ロバート・ジョンソンのカバーで熊本の情景を歌詞に織り交ぜた応援ソング『Sweet Home Kumamoto』がお気に入りだという(撮影/佐藤敏和)
「キャバレーニュー白馬」創業者の故・西田勝己氏(右)とその妻である“大ママ”フサエさん(左)の間で記念撮影に応じる若き日の八代亜紀さん。西田氏は歌をこよなく愛する人物だったという(写真提供/池田義信氏)
2022年7月に熊本地震の復興PRを目的に行なわれた「阿蘇フェスティバケーション」で熱唱する八代さん。このイベントの楽屋裏で会った八代さんが、「キャバレーニュー白馬」代表・池田義信氏が最後に見た姿だったという(写真提供/池田義信氏)
1958年創業の「キャバレーニュー白馬」は1964年に現在の地に移転、大人の社交場として賑わいを見せた。「日本に唯一残ったキャバレーといわれるのは寂しい。かつて八代市にも4つのキャバレーがあり、互いにしのぎを削ったものです」(代表・池田義信氏)。撮影/佐藤敏和
2010年5月、歌手活動40周年記念コンサートを同店で開催。『雨の慕情』など12曲を歌い上げた。終演後のインタビューでは「80歳まで歌うことが目標」と語っていた(写真提供/池田義信氏)
2023年9月の活動休止宣言以降、西田フサエさん(右)は「元気になったら、うちのステージに立って」と電話で直接八代さんに出演を依頼していたという。後ろに立つのは池田義信氏(写真提供/池田義信氏)
44年ぶりに同店のステージに立った40周年記念コンサートの様子をまとめたアルバム。「この年は、歌唱力が認められて文化庁長官表彰を受けた年でもありました」(池田氏)。撮影/佐藤敏和
15歳の初ステージで鳴りやまない拍手のなか、「『私は歌手になる』という思いが高まりました」と語っていた八代さん。まさに「キャバレー白馬」は“歌手・八代亜紀”の原点だった(写真提供/池田義信氏)