【書評】『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』/広野真嗣・著/講談社/1980円
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
ダイヤモンド・プリンセス号がコロナ感染者を横浜港に運んできた時、「(船内は)カオスと“告発”」する動画が出回り、政府はお手上げ状態となった。そこで救世主として頼ったのが尾身茂たち「感染症の専門家グループ」だった。
感染爆発(オーバーシュート)を起こすコロナウイルスを封じ込めるため、彼らは、クラスター対策、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置など「行動の自由に対する制約を引き受けるよう」、「政府よりも前面に出るかたちで」直接国民に求めてきた。
「国難だからこそ」、疎まれても言うべきことを言わなければ、「歴史の審判に耐えられない」。科学者としての良心と使命感からの行動だったという。
しかしその出過ぎた行為は、「国の政策を専門家がすべて決めているのではないか」との印象を与え、政府の存在感を薄れさせ、政権の面目をつぶすことにもなった。
「専門家は助言を行い、政府は提言を参考に決定する」。その助言や提言がうまくいかなければ、すべての責任を専門家に押し付ける。これが政府にとって、専門家会議や審議会を設置する、本来の目的である。良い時は使い、都合が悪くなれば責任を押し付けるための存在が、経済を停滞させるとなれば、厄介者でしかなくなる。
尾身が「Go Toキャンペーン見直し」を提言した時も、菅首相は「あなたたちのいうことはわかるけど……いろんな人が、いろんなことをいう」のでと応じなかった。「無観客で開催」したオリンピックにしても、政権は有観客にこだわり、尾身たちの提言を聞き入れるのが遅れに遅れている。そしてコロナ禍が落ち着くや、うるさい彼らは「まるで蹴り出されるように」追い払われ、御用学者による「御用審議会」が、政府方針の追従をはじめた。
著者は3年半に及ぶコロナとの闘いを記録し、政府の彼らへの理不尽な仕打ちを批判する。コロナ禍が暴露した政権と官僚の統治手法への告発でもある。
※週刊ポスト2024年3月1日号