【書評】『戦後政治と温泉 箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間』/原武史・著/中央公論新社/2200円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
自民党政治家の政治資金をめぐる報道にはあきれかえった。「パー券」売り上げをちょろまかすのは若い不良グループがよくやる手口と同じで、意地汚さが露わになった。属する派閥の維持には熱心だが、派閥間には直面する政治課題や長期的展望に立った政策論争さえ起きていない。
日本は敗戦直後の一九四〇年代後半から高度経済成長期にいたる六〇年代前半にかけ、混沌とした時代だった。GHQによる占領統治を経て、サンフランシスコ講和条約および日米安全保障条約発効、自衛隊発足、日ソ国交回復共同宣言、所得倍増計画など、戦後政治が揺れ動いた。
本書は、この時代の首相、吉田茂、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人らが重要な決断をする際、東京から離れた温泉地を「政治空間」にしていた史実を解き明かしていく。保守政治の知られざる舞台だった熱海、伊豆、箱根などの別荘・別邸、旅館やホテル。著者は政治家らの日記、書簡、回想録などから、その日々を丹念に追い、さらに現地を歩き、首相らの決断の時を鮮やかによみがえらせる。
なぜ温泉地だったのか。都心は空襲による被害から立ち直れず、政治家たちの邸宅も焼失していたが、そればかりが理由ではない。〈新しい日本の見取り図を思い描く〉ためにも東京を離れる必要があったと推察する著者は、社会学者マックス・ウェーバーが指導者的政治家に必要な資質に「判断力」を挙げていることを紹介。この判断力とは〈事物と人間に対して距離を置いてみること〉を意味するという。目の前の動きに惑わされず、ひとり沈思黙考する時間をもたらしたのが温泉地だった。
首相らの日記には重要な決断をした胸の内が書かれていた。この時点では明らかにせずとも、のちの歴史の評価にゆだねることを責務とする知性があったのだ。昨今の政治家がSNS上で浅薄な言葉を連ね、炎上、謝罪することとは大きな違いだ。本書では昭和天皇が戦後政治の動向を熟知していたこともわかり、とても興味深い。
※週刊ポスト2024年3月1日号