SMAPが国民的グループと呼ばれる前から裏方として支えてきた名物プロデューサーがこの世を去った。故人の願いは、いつの日か5人が再び同じ舞台に立つことだったという。危篤の知らせを受け、時間差で駆けつけた彼らは病室で何を語り合ったのか──。
5人の名前が一堂に並ぶのはSMAPが解散して以来約7年ぶりのことだった。2月17日の夜、54才の若さで急逝したフジテレビの名物プロデューサー・黒木彰一さんの通夜が営まれ、祭壇に中居正広(51才)、稲垣吾郎(50才)、草なぎ剛(49才)、香取慎吾(47才)、そして木村拓哉(51才)の供花が飾られた。
AD時代に『夢がMORIMORI』を手がけ、プロデューサーとして『笑っていいとも!』や『SMAP×SMAP』(以下スマスマ)などを担当した黒木さんは、森且行(50才)を含むSMAPの6人にとっては兄貴分のような存在だった。
「温厚な人柄で、メンバーやスタッフから“クロキン”と呼ばれていました。SMAP解散後も香取さんの『おじゃMAP』や木村さんと明石家さんまさんの正月番組『さんタク』、『まつもtoなかい』などの制作にかかわり、元メンバーと濃密な時間を過ごしてきました」(フジテレビ関係者)
白血病を患い、約2年前から入院生活を送っていた黒木さんを励ますため、中居は何度も病院を訪れた。
「2月上旬に黒木さんが危篤状態に陥った際も、香取さん、草なぎさんと連れ立って面会に行っています。稲垣さんも仕事を終えた後で病院に駆けつけ、1人ずつ病室に入って会話を交わしたそうです。木村さんも4人とは別の日ですが、病院に行って最後の挨拶をすることができたと聞いています」(前出・フジテレビ関係者)
2016年12月31日に、28年間の活動に幕を閉じた国民的グループSMAP。解散後も再結成や“一夜限りの再集結”の話題がたびたび取り沙汰されてきたが、いまだ公の場で全員が集まったことは一度もない。彼らの心情を深く理解する黒木さんも、5人が再び同じステージに立つことを待ち望むひとりだった。
「スマスマのチーフプロデューサーを務め、最終回まで彼らを見守った黒木さんにはメンバーそれぞれの忸怩たる思いが痛いほどわかっていた。中居さんはSMAPできちんとした形での“幕引き”ができなかったことを後々まで悔やんでいました。
一方で、5人揃っての独立に同調しなかったことで裏切り者という見当違いのそしりを受けた木村さんのつらい立場も理解していました。黒木さんは、悲劇的な最終回を迎えたスマスマの特番を5人が再び集まる形でもう一度やりたいと考えていたそうです。中居さんたちにもその考えを伝え、実際に過去に何度かチャンスがあったようですが、実現には至りませんでした」(別のフジテレビ関係者)
通夜当日、中居と稲垣、草なぎ、香取の4人は時間差で斎場に入り、ほかの弔問客が帰った後もしばらく遺影の前に立ち尽くしていた。「会場のスタッフから声をかけられるまで、4人でしんみりした様子で故人をしのんでいたそうです。木村さんも当初は通夜に行くことを望んでいましたが、仕事の都合で叶わなかったといいます」(芸能関係者)
昨年4月、香取と中居の共演が実現した『まつもtoなかい』の収録現場で、香取が木村の話題に言及していたことは本誌『女性セブン』既報通り(2024年2月29日・3月7日号)。当時、プロデューサーとしてクレジットされている黒木さんは病床に伏していたが、2人の共演を誰よりも喜んでいたという。
「台本はあってないようなもので、約6年半ぶりに共演した中居さんと香取さんのフリートークにはぎこちないところもありました。次第に、かつてのような息の合ったやりとりが始まったと思ったら、香取さんが突然、木村さんの名前を挙げてスタジオに緊張が走ったのです。固唾をのんで見守ることしかできなかったスタッフも、中居さんが笑顔になったことで安堵したのだとか。
そのときの木村さんについてのやりとりは、時期尚早と考えた中居さんの判断でカットされ、後に未公開シーンが放送された回でも触れられていません。それでも、長らく不仲説がささやかれてきた香取さんと木村さんの間に、もはや何のわだかまりもないことを示す出来事でした」(前出・別のフジテレビ関係者)