昭和の時代は、自分のことを「俺」と呼ぶ人がいても何の違和感もなかったはずだ。しかし、最近では「俺」を使う人がすっかり減っている。また、人気ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)でフィーチャーされるヒット曲『ハイティーン・ブギ』など昭和の歌謡曲の歌詞に「俺」が登場するのは珍しくなかったが、最近のヒット曲ではあまり使われなくなった。“俺呼び”はどう変わってきたのか? そして今後は? 作家の甘糟りり子さんが考察する。
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やや乱暴な仮説だけれど、「俺」という一人称は、ゆっくりと時間をかけて「あたい」みたいな位置付けになるはず。発する人のキャラクターを極端に演出するための、コスプレ的な言葉になると私は考えている。
昭和の時代の中学生及び高校生男子ならプライベートではたいてい「俺」だった。学級委員になるような子でも、肩で風を切っているタイプでなくとも、「俺、塾に行くからもう帰るよ」「俺はやっぱり明菜派だなあ」といった感じでごく普通に使っていた。
話題のドラマ『不適切にもほどがある!』は昭和61年(1986年)と令和6年(2024年)を行ったり来たりする物語。近藤真彦ことマッチがフィーチャーされ、劇中には『ハイティーン・ブギ』(1982年のヒット曲)が登場した。松本隆作詞の『ハイティーン・ブギ』はアイドルの歌ではあるが、つっぱりという設定。歌詞では「俺」が連発されている。念のために説明すると、つっぱりとは不良のこと。「つっぱっている」とは今風にいうと「イキっている」ことだ。
自分を「俺」と呼ぶ人は、相手の女子についてはもちろん「お前」呼びである。マッチも『ハイティーン・ブギ』で「お前」が望むならツッパリをやめると歌っている。「お前」呼びにはいいたいことはたくさんあるが、このフレーズとメロディはやっぱりなつかしくて甘酸っぱい気持ちになる。
ちなみに、当時人気を二分した田原俊彦のヒット曲『ハッとして!Good』は高原とかテニスコートなんかが舞台で、一人称二人称は「僕」と「君」だ。あの頃、高原やテニスコートはまだ特別な気取ったもので、マッチの歌う世界観の方が圧倒的に「男子の通過点」だった。たとえバイクに跨って海まで飛ばさなくても、おぼっちゃんでも学級委員でも、男子たるもの心根にはナナハンが置いてあるべき、そんな世の中だったと記憶している。
従って、今の五十代以上にはプライベートで「俺」という人は多い。そして、親しい間柄では「お前」「こいつ」を使うことに何の引っ掛かりもないのだ。これについては別の機会にみっちり書きたいのですが。