都内に雪が降り積もった2月某日。「東京漫才について語ろう」という漫才協会外部理事である高田文夫氏の呼び掛けに、第七代漫才協会会長のナイツ・塙宣之氏と芸能研究家の神保喜利彦氏が応じた。戦前から活躍したリーガル千太・万吉による今の漫才協会設立から、タレント国会議員のはしりだったコロムビア・トップ・ライトの時代までを語り合った。【全3回の第1回】
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高田:二人でやる漫才が東京に入ってきたのは、大正の終わりぐらいからだよな。最初に人気だったのはやっぱりリーガル千太・万吉だね。
神保:戦前から活躍していて、昭和30年に結成された漫才研究会、今の漫才協会の初代会長です。
高田:「やきとり」ってネタなんて、今見てもいい芸なんだよ。
塙:今の漫才協会会長の私は、この二人をよく知りません。
神保:コントではない純粋なしゃべくり漫才です。関西の花菱アチャコ、横山エンタツが完成させ、関東ではこの二人が確立させました。
高田:おぎやはぎが2002年にM-1に出たときに審査員の立川談志が「うーん、君たちの芸は千太・万吉だね」って。
塙:ああ、言ったかも……。
高田:間のとり方がよくて、ふっと笑わせていくのよ。
神保:この二人はもともと落語家なんです。
塙:なるほど、だから間が……。
高田:お客さんにとっては背広で立ち話をするって、新鮮だったんだろうね。それまでの漫才は鼓とか三味線を持って着物姿でやっていた。塙君の師匠が正統派だよね。
塙:ああ、内海桂子師匠!
高田:昔はつけっぱなしのラジオから、浪曲と漫才と落語が流れてたんだよ。それで、おふくろが、「千太・万吉は面白いね」って言ったのを覚えてる。