1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、調教師との出会いについてお届けする。
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“仰げば尊し”の季節がやってきました。今年関東では中野栄治先生、高橋裕先生、小桧山悟先生が、関西でも、重賞を勝たせていただいた安田隆行先生、加用正先生のほか、飯田雄三先生、松永昌博先生が3月5日を最後に定年となります。
特に中野先生にはトロットスターのスプリントGI2勝など重賞を5つも勝たせていただきました。でもオールドファンが思い出すのは、先生が騎手だった1990年のダービーでしょう。僕はまだデビュー4年目で、あの日は最終レースに騎乗があるだけでした。検量室横のジョッキールームのテレビでアイネスフウジンの逃げ切り勝ちを見て、さあ、レースだぞと思った時に、大観衆による“中野コール”が聞こえてきました。ああ、ダービーってすごい、こんな風にして祝福してくれるんだと驚いたものです。この日東京競馬場には20万人近いお客さんが来場。これはいまでも競馬場来場者の世界記録になっています。
僕は本当に調教師の先生との出会いに恵まれていたと思います。まず、自分で選んだわけではないのですが、競馬学校卒業後に入った矢野進厩舎。1年目に30勝した後、矢野先生は「ウチの厩舎でも走る馬だったらいいけれど、走らない馬だったら乗らなくていい」と融通を利かせてくれたし、知り合いの調教師に声をかけていろいろ乗せてもらいました。
3年目に通算100勝を達成と聞くと、順調なジョッキー人生のようですが、同期の中でも初勝利は遅い方だったし、あとから入ってきた、たとえば2歳下のカツハル(田中勝春調教師)より、リーディングで下だったこともあります。
なかなか重賞を勝つことができないとも指摘されました。関西では同期の武豊騎手が3年目でGIを4勝し、リーディングジョッキーになっていたので、置いていかれちゃいけないという思いはありましたが、どうしようもなかった。