日経平均株価が連日のように史上最高値を更新し、バブル時代との比較が何かと話題に上っている。改めて考えたい、バブルとはどんな時代だったのか? 『バブル、盆に返らず』(光文社)の著書がある作家・甘糟りり子さんが自らの経験を元に綴る。
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1989年12月29日の日経平均株価3万8915円がついに破られ、ニュースでは「バブル」という単語が連呼された。そのせいだろう、このところ「バブルってどんな時代だったんですか?」と聞かれることが多い。
バブル時代とはディスコと不動産の時代だった。麻布十番のディスコ「マハラジャ」には毎晩ものすごい熱気が渦巻いていた。いつ行ってもどんちゃん騒ぎ的な盛り上がりで、今の若者が訪れたら何かのパーティーかと思うに違いないが、それが通常の様子だった。(あちこちで何度も書いておりますが、バブル時代のディスコ=ジュリアナ東京というのは間違い。ジュリアナはバブルが弾けてから)
行きつけのディスコは友達との溜まり場で、今のSNSみたいな機能を果たしていたと思う。そこにいれば誰かに会える。釣り書き的なプロフィールは知らないけれど、ある一面だけは近い距離感の友達ができる。ゆるい繋がりだからこその連帯感を味わえた。
Mくんも「マハラジャ」で知り合った一人。友達の彼氏の同級生だか同僚だかで、中堅どころのサラリーマン(今でいうところのビジネスマン)だった。有名企業の若手月給取りが「ヤンエグ」といわれて、もてはやされていた時代である。ヤンエグとは、ヤングエグゼクティブの略。かなり小っ恥ずかしい単語だが、当時は平気で使われていた。一応その一人であるMくんも「マハラジャ」や系列店の「キング&クィーン」を我が物顔で闊歩していた。
黒服とは顔馴染みで、混んできたら順番に明け渡さないといけないはずのフロア前のテーブル席も、彼と一緒なら好きなだけ使うことができた。同録テープはもらい放題。「マハラジャ」や「キング&クィーン」では、 DJがかけた音楽(及びサンプリング音)をそのままカセットテープに録音して、常連や誕生日ガール&ボーイでプレゼントする習慣があったのだ。
フロア前のテーブル席でやたらと甘いスパークリングワインをクープグラスで飲みながら聞いた話なので詳細はあやふやだが、なんでも自宅とは別に投資目的でマンションを購入したと話していた。あの頃、不動産の値段は日々上がり続け、サラリーマンでは山手線の内側に家は買えないといわれる一方で、銀行は不動産購入のための資金は積極的に貸した。たとえ若者であっても、それを担保にどんどんローンを組ませた。
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Mくんもローンを組んでマンションを購入して貸し出し、賃料でローンを払っている、とか何とか。自分が住んでいるマンションは貸している部屋よりいいマンションで、当時まだ目新しかった「コンクリート打ちっぱなし」だと自慢していた記憶がある。