東日本大震災から13年 「奇跡の一本松」など定点撮影から見えてくる復興への歩み
左写真が2024年2月14日、右写真が2012年2月18日の「奇跡の一本松」
【2011年4月17日】震災当時、津波避難所になっていた街はずれの小さな「東山公園」から見た景色。元は市役所やスーパーがあり、市井の人々が集まっていた。被害は死者620人、行方不明者211人にのぼった
【2012年6月16日】右奥に見える建物は旧公立志津川病院。志津川地区の中心地だった
【2014年2月22日】瓦礫の撤去も終わり市街地は約10メートルの嵩上げが始まった
【2015年2月12日】整地後も中央奥に残る建物は、330人が避難し津波の被害を免れた結婚式場「高野会館」。現在震災遺構として残る
【2018年1月16日】嵩上げもほぼ終わり区画整理されて道も新しく整備された
【2024年2月17日】右奥にはガソリンスタンドや一部の事業所もできた。新しい宅地や役場などは離れた山の上に移転。現在の住民数は1万1755人
【2012年1月24日】60年続く「理容 鹿折軒」を営む小野寺さん親子。被災後は簡易店舗で営業再開
【2015年2月28日】被災地の嵩上げに伴い、一時移転して営業
【2021年2月12日】2020年には元の場所に新店舗が復活。鹿折に戻ってきた人たちの日常を支える
【2012年2月18日】景勝地の松の木がなぎ倒されるなか、津波に耐え抜きユースホステルの敷地内に一本残った松。復興の象徴として「奇跡の一本松」と呼ばれるように。枯れてきた一本松に毎週車で何時間もかけて「甦りの水」を運ぶ人も
【2015年2月11日】最大12メートルに及ぶ陸前高田市の嵩上げのため、一本松の背後に巨大なベルトコンベアが設置された
【2024年2月14日】現在の一本松は一度枯れた後に幹を防腐処理し、枝葉をレプリカで復元したもの。背後にある建物は被災した当時のままのユースホステル
あの日からの復興を生きる