「女子アナや芸能人はダメ。健康で、できたらスポーツをやっていた女性がいい」──かねて大谷翔平(29才)の両親は、息子の結婚相手についてこんな“条件”を挙げていたという。
質実剛健を地で行く大谷家の「掟」は、世界を驚愕させるアスリートを生んだだけでなく、さらに次世代にも最強遺伝子を引き継いでいきそうだ
メジャーに挑戦した日本人選手の結婚相手には、海外での生活経験があったり、英語が堪能といった経歴を持つ女性が少なくない。慣れない異国の地での生活では、そうした妻の存在は大きな支えになるのだろう。しかし、大谷の父・徹さんは、大谷がメジャー移籍を目前に控えた当時、先人たちとは異なる考え方を披露していた。
《わたしは二十五歳で結婚しましたが、三十歳くらいでもいいのではないですか。仮にアメリカに行くにしても、慌てて嫁さんをもらう必要もない。行くならば、一人で行って、言葉に困るときは通訳の方に助けてもらえばいいと思います》(『文藝春秋』2017年4月号)
実際、渡米から6年の間、大谷は通訳の水原一平氏の力を借りながら野球に邁進してきた。そんな大谷も30才を迎える今年、父の“予言”通り結婚の決意を固めたのだが、大谷家では、家族の一員となる人に求めたものはスポーツ経験だったようだ。
一家の“思想”に通底するのが、成長過程でスポーツに接することで、子供たちの心身の成長をはかるという考え方だ。岩手県北上市出身の徹さんもまた、社会人野球の強豪・三菱重工横浜でプレーした元野球選手だった。
「引退後は岩手県に戻って車のボディーメーカーに勤務し、夜勤もこなしながら、少年野球の指導にあたっていました。現在も中学生の硬式野球チームの監督をしています。母・加代子さんは元バドミントンの国体選手で、中学時代には、全国大会で団体準優勝に輝いた経歴の持ち主です。
翔平さんの7才年上の兄・龍太さんも野球経験者で、社会人野球を経て、現在は同じチームのコーチ。2才年上のお姉さんはバレーボールの選手でしたね」(大谷家の知人)
大谷家は、家族全員がスポーツ選手として活躍してきた。
「ご両親は高校卒業後にそれぞれが所属した三菱重工横浜の元同僚です。お兄さんとお姉さんは横浜で生まれましたが、徹さんは25才で選手を引退すると、翔平さんが誕生する前年に岩手に帰る決断をします。
徹さんは、野球をやるなら都会より田舎の方がいいという考えの持ち主で、広い土地でのびのび子育てできる環境で目一杯スポーツをやらせてあげたいと思ったそうです。仕事が忙しくお兄さんの幼少期にはかかわる時間を取れなかったため、翔平さんの野球にはお兄さんの分まで時間を割いたとか。“都会で育てていたら、いまの翔平はなかった”が彼の口癖でしたね」(スポーツライター)