【書評】『街場の米中論』/内田樹・著/東洋経済新報社/1760円
【評者】関川夏央(作家)
アメリカがわからない。銃の乱射事件が相次いでも銃規制はできず、下品かつウソつきのトランプが再び大統領に選ばれそうなアメリカがわからない。建国の理念が、元来両立不能の「自由」と「平等」だからアメリカは揺れるのだと内田樹はいう。
「自由」派は、政府が「個人」に関与することを徹底して嫌う。「平等」派は、「自由」な経済活動に広く課税、それを国民全体に還元しようと考えるが、まさに「氷炭相容れない」。トランプは連邦税を年に七百五十ドルしか払っていないことを恥じるどころか、むしろ「節税技術」を誇る。
「無学で、暴力的で、セクシストで、レイシストだと思われて家族からは嫌われているが、実は無垢で善良で真の英雄であることが危機に際会した時にわかる」
これは、一九八〇年代後半からクリント・イーストウッドが演じつづけるキャラクターだが、「トランプ支持者」の「かくありたい」人物像に通じる。トラブルに際して「法」ではなく、単身「拳か銃」で決着をつけようとする主人公のありかたにアメリカの原型がある。
内田樹は、文学・映画・音楽からアメリカを知ろうとつとめてきた。そこにあらわれた「物語」にこそアメリカ人の「集合的な無意識的欲望」すなわち「趨向」が露出していると考えるからだ。さらに「起きてもよかったはずの歴史現象がなぜ起きなかったか」という問いかけを重ねるのが著者の歴史思考法だ。
一方中国は「過剰に自由な経済活動」と「過剰な一人っ子政策」で生じた極端な国内格差に悩みながら帝国主義的「趨向」を強めている。内田樹は、かりに自分が中国人官僚であったら、「ここはひとつ共産主義国家になりませんか」と中国共産党に提案するだろうという。それしか格差解消の手立てはないからだ。
「不愉快かつ巨大な隣人」である米中と共存せざるを得ない日本人は、この本の痛くも快くもある知的な「つぶやき」の刺激を受けてはどうか。
※週刊ポスト2024年3月22日号