【書評】『本居宣長から教育を考える 声・文字・和歌』/榎本恵理・著/ぺりかん社/4180円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
現在の幼児教育では「伝え合う力」が重視されている。伝え合う上で言葉の役割は大きい。心は言葉によって作られ、言葉は声と身体の活動を通して獲得される。その際、声と文字のどちらが重要なのだろうか。江戸時代の天才国学者・本居宣長によれば、漢字は日本語表記の便宜にすぎず、日本の生きた音声を表すのに漢字を借用したにすぎない。文字はまったく仮のものなのだ。
著者は、宣長における「もののあはれ」を表すために声で歌われた和歌の心を、なんとか現代教育の現場に応用できないかと考える。自分がやむにやまれず人に伝えたい言葉を短い語句から次第に増やして、まとまった文章に近づければ和歌となる。こうして、情をこめて「ほどよく」上手な表現を声に出すと、しまいには歌の型になる。
このように歌の型とは、声を出して情感豊かに歌い上げることで、「あはれ」(共感の感動)がより深まる。こうした宣長の「もののあはれ」の方法を、保育の現場でも程よく援用しながら、声の世界に生きる子どもたちに、言葉遊びの環境やそのための仕掛けを工夫できないだろうか。
著者は、宣長こそ他者との共感を引き起こす点に和歌の本質を見い出した人物だという。困難でも歌で相互に理解しあえる道を幼児教育でも利用できるはずだと、問題を提起する。歌といっても、きちんと格式ばった敷島の道を学ぶというのではない。
風景や読書や会話に感動した心を素直に単語群から選び、次にそれを列挙し、うまくいけば歌になる。こうしてできた歌は子どもにとって他人とつながる「メディア」にもなる。これは道徳教育にも有用だろう。規範を一々長い文章に書くのが道徳ではない。むしろ、言葉や理論の完成を養う身体や芸術の教育と言葉を連動させて、声の世界に生きる幼児教育の可能性を道徳に拡げるという期待である。
次の機会には、宣長の「もののあはれ」の教育実践の成果と課題を報告してほしいものだ。
※週刊ポスト2024年3月22日号