【書評】『みどりいせき』/大田ステファニー歓人・著/集英社/1870円
【評者】香山リカ(精神科医)
こんな不思議な小説は読んだことがない。強いていうなら、「21世紀のちょいヤバ版『ライ麦畑でつかまえて』」となるか。すごく面白いのだが、昭和世代には読むのがひと苦労だ。
「ちょ、やばっ。ひかる、全部にタバスコかけんなし」
「かけてないし、ブリってる時はかけた方が美味しいよ」
「切りわけのオペしなきゃ。あ、ハシねぇわ」
「うちとってこよっか。キッチンのひきだし?」
「え、ありがと。マジ感謝」
といった具合に、説明もなく“いまどきの若者”の言葉の洪水に目がくらむからだ。でも、「なんだこの小説」と閉じたくなるのをこらえて読み進めていくと、「うぇーい」「だいしゅき」といった言葉の奥から意外なほど普遍的で古典的な葛藤と成長の物語が浮かび上がってくる。
ここで簡単にどんな話かを説明すると、小学生のとき、野球チームでピッチャーだった女子の球を受けていたキャッチャーが主人公。その後、野球をやめて高校に入った主人公は、学校生活からドロップアウトしかかっている。そんなとき偶然、元ピッチャーに再会し、彼女がやってる闇バイトにかかわってしまう。
一度は「法律違反じゃん」と抜けようとするが、話したり音楽聴いたりしてるときにむせ込むほど笑い合う仲間たちがいる空間が忘れられず、舞い戻る主人公……。
居場所。仲間。家族。連帯。自分であること。打ち込めること。若干のお金。言葉にすれば野暮ったいが、若者が求めていることは昔とそれほど変わらないんだ、とうれしくもやや切ない気持ちになる。同時に、格差が広がり社会の不透明感も増す中、若者が生きていくのは本当にたいへんなんだ、と思い知らされる。「努力して勉強して良い大学、良い会社に入れば一生安泰」などという時代ははるか昔の話なのだ。
凄まじい熱量のこもった本作は、すばる文学賞を受賞した。ラッパーのようないで立ちの作者にも注目が集まっているが、これからもおとなたちの脳天に突き刺さる作品を書き続けてほしいと願う。
※週刊ポスト2024年3月29日号