1985年、『春色のエアメール』で歌手デビュー。同期には、中山美穂、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、本田美奈子、芳本美代子といったそうそうたる顔ぶれがズラリ。文字通りのアイドル全盛時代、華々しいスタートを切り多忙を極めるなかでは、「もうステージに立てない!」と思うほどの苦い経験もあったとか。1992年、現役アイドルとプロ野球選手との結婚は、世間を驚かせるビッグニュースに。あれから30年、ネット上には本人たちも驚きのガセ情報が出回っている!?【全3回の第2回。第1回から読む】
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──アイドル時代のことも振り返らせてください。「18万325人」という歴代最多の応募者のなかから、網浜直子さんとともに「ミス・セブンティーンコンテスト」のグランプリを獲得したのが1984年。おそらく、そこから一気に生活が変わったと思います。当時の心境は?
「もう、なにがなんだか分からないという感じでしたね。とにかく、与えられたことをひとつひとつ一生懸命やらなきゃというだけで、自分のやりたいことを考える余裕もなかった。3ヵ月に1枚シングルを出すスケジュールで動いていたので、歌番組で新曲を披露しているときには、もう次のシングルやアルバム曲を録音しているような状況でした」
──プライベートの時間は?
「もう全然! です(笑)。当時のスケジュール帳は、ホントに真っ黒。それだけ忙しいと、今、自分がどこにいて、なにをしているのか分からなくなってくるんですよね。毎朝、事務所の方に『今日1日、どこでなにをするんですか?』って聞いて、あとは連れて行かれるままに移動して仕事をして、次の現場に移動して…の連続(笑)」
──デビュー曲『春色のエアメール』のリリースとほぼ同時に、シブがき隊主演の『バロー・ギャングBC』で映画にも初出演。まさに、鳴り物入りのデビューでした。ただ、この映画出演に絡んで、苦い思い出もあるそうですね。
「映画で共演させていただいたシブがき隊さんとは、当時、いろいろな現場でご一緒することが多かったのですが、ある公開放送でデビュー曲を初披露するためにステージに上がったら、シブがき隊のファンの方たちから『帰れ!』コールが……。その瞬間に固まってしまって、自分でもどう歌って、どうやってステージから降りたのか、まったく覚えてないぐらい。『もうシブがき隊さんと一緒のステージには立てない!』とまじめに思いました」
──当時のアイドルファンというのは、女性も男性も熱狂的でした。
「歌っているときに投げていただく紙テープも、普通は当たっても痛くないように芯を抜いてから投げるんです。私のときには芯が抜かれていない紙テープが、明らかに『狙って』飛んでくる。それをサッと避けながら歌ったりして(笑)。カミソリ入りの手紙も、たくさんいただきました。『いただきました』っていうのもおかしいんですけど(笑)」