時に叱られ、時に励まされ──人には誰でも“師”と呼べる人がいるだろう。元プロボクサーで俳優の赤井英和(64才)にとっての恩師は、トレーナーのエディ・タウンゼントさんだ。
「負けたボクサーの周りには誰も来ないから、ボクが横にいる」「アカイが大人になってママが小さくなったとき、抱っこしてキスするのがアカイの仕事」──かつて“浪速のロッキー”として人々を熱狂させた赤井の脳裏にはいまでも、トレーナーとして導いてくれた恩師、エディ・タウンゼントさんの愛に満ちた言葉がこだましている。
「初めて指導を受けたのは大学1年生の3月のこと。タイのバンコクで開かれた『キングスカップ』というアマチュアの世界選手権に日本代表として出場したときの特別コーチとして帯同していたのがエディさんでした。
当時のボクシングの指導者は竹刀片手に『ガードを上げろ!』などと叫んで選手をシバきながら教えるのが当たり前でしたが、エディさんはいいところを伸ばして短所を補う指導方針。ボクシングはサンドバッグやシャドー、ランニングなど孤独な練習が多いけれど、エディさんはぼくがサンドバッグを打つと『ナイスパンチ! グッドグッド!』と声をかけてくれる。それを聞きたい一心で、必死で頑張っていました。
キツくてつらいばかりだと思っていたボクシングでしたが、エディさんに出会って初めて楽しいと思えるようになったんです」(赤井・以下同)
赤井のほか、6人の世界チャンピオンを育て上げた後、エディさんは1988年に73才で逝去。赤井はその教えを後輩に受け継ぐべく、母校・近畿大学のボクシング部をサポートしている。
「命日にはガッツ石松さんやカシアス内藤さん、柴田国明さんら往年の名ボクサーたちと集まってエディさんをしのぶのが決まりなのですが、会の途中でみんな必ず『おれがエディさんにいちばん愛されていた』と口々に言い始める(笑い)。
テニスボールを力いっぱい壁にぶつけたら同じ勢いで返ってくるように、エディさんは全力でみんなに愛情を注いでくれていた。あの頃『ナイスパンチ』と褒められてうれしかったから、ぼくも愛情をもって選手たちを指導しています」
【プロフィール】
赤井英和(あかい・ひでかず)/1959年大阪府生まれ。高校在学時にボクシングを始め、12連続KO勝利の日本記録(当時)を樹立。1989年に映画『どついたるねん』で俳優デビュー。
※女性セブン2024年4月11日号