いっぽう、見る側を幸せな気持ちにさせてくれて、心から拍手を送りたくなったのが、3月31日の「笑点」に出演した林家木久扇さんです。木久扇さんはこの回を最後に、55年にわたって出演してきた「笑点」の大喜利メンバーを卒業しました。ただし、あくまで「笑点」を卒業しただけで、落語家を引退したわけではありません。
この日は30分全部が大喜利で、メンバーたちが回答を通じて木久扇さんにはなむけの言葉を贈ります。最後は、木久扇さんに「ありがとう」を伝えるという問題。このときは会場の全員が、入口で配られた黄色いタオルを「ありがとう」の言葉に合わせて振るというサプライズが用意されていました。じつは私もこの日、後楽園ホールの観客席にいて、タオルを何度も全力で振りました。一生の思い出です。
木久扇さんはいつも以上に面白い回答を連発。会場を大いに沸かせて、テレビの視聴者にもまだまだ元気であることを示しました。「さすが!」とうならされたのが、締めの言葉です。司会の春風亭昇太さんが「木久扇師匠、今のお気持ちはいかがですか?」と尋ねたところ、ニッコリ笑って右手を上げ、出てきた言葉は「また来週」。
これには舞台にいる全員がひっくり返って、観客も大笑い。木久扇さんらしい湿っぽくならない締めくくり方に、会場は心からの拍手と「さすが木久扇さん」という感動に包まれました。あまりにも見事な「引き際」です。もっとも、これまでたくさんの常識を打ち破ってきた木久扇さんだけに、もしかしたら本当に来週も現われるかもしれません。
比べていいものかどうか、だんだん不安になってきましたが、二階元幹事長と木久扇さんの「引き際」には、大きな違いがありました。誰しも、今いる場所から去らなければならないときが来ます。二階氏を反面教師にしつつ、木久扇さんに学びつつ、立つ鳥跡を濁す「引き際」と、素敵な余韻を残す「引き際」の違いを考えてみましょう。
どうやら、大切なのは次の3つのポイントです。
その1「もはや役割を果たせそうにない状態に見えるようになるまで続けてから辞めるか、まだまだやれるのにもったいないと思ってもらえる段階で辞めるか」
その2「最後まで自分の都合やメリットを優先している印象を与えながら辞めるか、最後まで見る人を楽しませるという気持ちを全力で表現しながら辞めるか」
その3「(自分にとってマイナスな要素と思われることの一例として)年齢のことを言われると攻撃的な反応をするか、年齢のことをむしろネタにするか」
終わり良ければすべて良し。職場にせよ何かの集まりにせよ、「あの人がいなくなって寂しい」と思われる去り方ができれば、末永くいい印象を残すことができるでしょう。「やっといなくなってせいせいした」だと、どんなに大きな実績を残していても水の泡です。
ところで、4月7日の日曜日には「笑点」の新メンバーが発表されるはず。まさかとは思いますが、もし「世襲」だったら、これまでの話が成り立ちません。ま、それはそれで大胆過ぎて逆に笑ってしまう気もしますが、いずれにせよ楽しみです。