振り返れば、秋篠宮家の眞子さんは大学の卒業式の翌々日に、佳子さまは卒業式当日にご挨拶のため当時の御所へ向かわれた。悠仁さまも、小学校ご卒業の当日、中学校ご卒業の翌日に、それぞれご挨拶された。中学ご卒業時は令和であり、仙洞御所に向かわれた。愛子さまの高校ご卒業は新型コロナの感染拡大時期だったため除外したとしても、上皇さまと美智子さまにご挨拶をされていない状況は、慣例を覆すものだと言える。
「どうしても、天皇と皇太子時代の両家の“途絶状態”を思い出してしまいます。まだ愛子さまが幼かった頃、上皇ご夫妻と天皇ご一家はほとんど交流がありませんでした。かたや、秋篠宮家とは、静養先で合流されるなど、密にコミュニケーションを取られていた。そうした関係性は、それぞれの家に付き従う職員にも伝播し、職員同士の希薄な関係にもつながりました」(前出・宮内庁関係者)
それが垣間見えたこともあった。今年の元日、両陛下は上皇ご夫妻へのご挨拶に向かわれなかった。秋篠宮ご夫妻や佳子さま、悠仁さまが足を運ばれたのにもかかわらずだ。
「美智子さまのご判断で、両陛下にだけは“ご招待”がなかったからだとされています。元日の両陛下のスケジュールは儀式をはじめとしてとにかく多忙で、雅子さまのご体調を気遣われたのでしょう。ただ、“新年の挨拶”は一般的な家庭でも当たり前のものですし、雅子さまの無理のない範囲を側近らが共有すれば、実現できたはずです」(前出・宮内庁関係者)
残念ながら、それと同じことが愛子さまのご卒業に際しても起きてしまったのだろうか。
「たしかに、卒業式から間髪入れずに地方訪問、さらに日赤入社を迎えられ、愛子さまは多忙を極められていました。それでも、愛子さまは美智子さまにご挨拶されたいというご意向だったそうです。一方の美智子さまも、孫娘のお祝いにお会いになりたかったことは間違いありません。孫の大学卒業と就職の報告を喜ばない祖父母などいるはずがありません。
ところが、そうした双方のお気持ちを職員が察して調整できなかったため、“ご挨拶しない”という、傍から見れば緊迫の状況を引き起こしてしまったのではないか」(別の宮内庁関係者)
愛子さまは、すでに次に目を向けられている。
「日赤での業務は、ボランティアの育成や研修などが中心で、皇族としての務めに直結するものです。また、すでに数多くの公務の依頼が舞い込んでおり、愛子さまのなさりようが、そのまま令和皇室のイメージを左右すると言っても過言ではありません。愛子さまは、ご自身がそうした重要な立ち位置にいることを理解されているはずで、いまは社会人になる準備を最優先にされたのでしょう」(皇室ジャーナリスト)
すでに両陛下も、愛子さまの本格始動後に完成する「新しい天皇家」に向けて動き出されている。
「4月中にも再度、能登半島地震の被災地を訪問されることが検討されています。また、6月にはイギリスを公式訪問される予定です。同様に愛子さまも明日を見据え、皇室の未来を両陛下とご一緒に形作ろうという志向をお持ちなのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
いずれ、愛子さまには美智子さまとのお話の機会がくるだろう。そのときには、卒業と就職の喜びはもちろん、社会人としての充実の日々を、感謝とともに伝えられるに違いない。
※女性セブン2024年4月18日号