『おかあさんといっしょ』(NHK Eテレ)の初代うたのおにいさんとして親しまれ、1976年には『ビューティフル・サンデー』を明るく爽やかに歌った田中星児さん(76)。森永製菓「チョコボール」のCMも印象深く、今でも景品の「おもちゃのカンヅメ」を大切に保管しているという。田中さんに、うたのおにいさん時代の出来事や、名曲『ビューティフル・サンデー』誕生秘話、国民栄誉賞の大女優から受けた愛のダメ出しなどの懐かしい作品の思い出話を聞いた。【前後編の後編。前編から読む】
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父は高校の音楽教師、母も歌好きでしたので、僕は小さい頃から音楽に親しんで育ちました。中学時代からテレビ番組などの歌のコンテストに挑戦するようになり、大阪府立阪南高校を卒業して上京し法政大学文学部に進学してからも、それは続きました。『ナショナル 10人抜きのど自慢』(TBS系)や『NHKのど自慢』全国大会ポピュラーの部などで優勝し、大学卒業後、『ステージ101』(NHK)の“ヤング101”のメンバーに選ばれ、1970年10月にデビューとなりました。
そして、翌1971年に『おかあさんといっしょ』の初代うたのおにいさんのオーディションに挑戦し選ばれたわけですが、最初は緊張して笑うことさえできず、スタッフに「そんなに怖い顔をして歌わないで」と言われていました。両親は当時、かなり高価だったビデオレコーダーを購入して録画し、真剣に見てくれました。父親は「あんまり顎を上げてしゃべらないほうがいい。鼻の穴ばかりが映ってバカに見える」とアドバイスをくれました(笑)。自然に振る舞えるようになるまで、2~3年かかりましたね。
去年、亡くなったことが発表された高見のっぽさんは、同じ頃にNHKの子ども番組で活躍されていて、番組の構成なども手がけて活躍されていました。『おかあさんといっしょ』で僕が歌った『ぞいなかなだこのことお』『レインマン』の振り付けをしてくださったことも。歌を聴いてすぐその場で振り付けされるんですよ。すごいなあ、と思いました。
のっぽさんは目がギョロッと大きくて、いつも何か考えてらっしゃるような表情をされていました。時間があくとNHKのそばにある雀荘に誘ってくださって、ディレクターさんらと3、4回ご一緒しました。のっぽさんは冗談言いながらやられていて、頭の回転が速いんだなあと思いました。