《私にウェディングドレスを着る日は来ない》。STAP細胞騒動を振り返った自身の著書に、小保方晴子さん(40才)は自らの未来をこう記していた。「あの日」から10年、彼女の隣には、ひとりの男性の姿があった──。
都心の一等地にそびえ立つタワーマンションの一室。洗練された街並みに映える都会的な外観に加え、部屋からは東京湾の夜景が一望できるとあって、竣工当時から人気の高い物件だ。
数年前からここに住む彼女は、かつての研究室と同じようにこの部屋をもう“自分色”に染めていることだろう。「あの騒動」からちょうど10年。日本中を騒がせた若き女性科学者も40才を迎えた。小保方晴子さん──彼女はいま、まったく新しい人生を歩み始めていた。
ピンクや黄色の壁紙に囲まれ、実験器具はムーミンのキャラクターシールでデコレーションされている。そんなメルヘンチックな研究室で、祖母からもらった昔ながらの割烹着をまとい、日夜研究に励む彼女の左手中指には、大好きなブランド、ヴィヴィアン・ウエストウッドの大きな金の指輪が光っていた。
地味な研究者のイメージを一新し、颯爽と現れた小保方さんが一躍時の人となったのは、2014年1月のこと。理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターは、ユニットリーダーの小保方さんが「STAP細胞」を発見したと発表。彼女の論文は世界的な科学誌『ネイチャー』に掲載された。
「わずか3年前に博士号を取得したばかりの無名の女性研究者が、世紀の発見をしたことに世界中が驚きました。ガーリーな雰囲気の小保方さんは『リケジョの星』ともてはやされ、空前の“小保方さんブーム”が巻き起こりました」(科学誌記者)
STAP細胞は、さまざまな臓器や組織の細胞に成長する万能細胞だ。先行していたiPS細胞などより簡単かつ安全に作製でき、再生医療や若返り、がんの治療などに応用できることから「夢の万能細胞」と呼ばれた。世紀の発見で一気にリケジョの頂点に上り詰めた小保方さんだったが、そこからの転落劇は想像を絶するものだった。
「STAP細胞の発表からわずか2か月後、その論文に不正が見つかったのです。別の研究で使用した画像の流用やほかの論文からのコピペが発覚し、さらに、3年間の研究で彼女が記録したノートがたったの2冊しかなかったことも露呈。小保方さんに強い疑惑の目が向けられました」(前出・科学誌記者)
2014年4月、勝負服であるバーバリーのワンピースを着て“反論会見”に臨んだ小保方さんは、後世に残る名言を口にした。
「STAP細胞はありまぁす!」
だが、その存在を証明することは叶わず、そればかりか、STAP細胞とされていたものは、同じ万能細胞であるES細胞が混入されたものである可能性が浮上。STAP細胞の論文は撤回に追い込まれた。同年8月には彼女の上司で、最大の理解者だった理研の笹井芳樹氏が亡くなり、小保方さんは2014年末に理研を退職。翌年には博士号が取り消され、研究者の道が閉ざされた。
「捏造の科学者」とまで呼ばれ、表舞台から消えた彼女が再び世間に姿を見せたのは、2016年1月。突然、手記『あの日』(講談社)を発表したのである。
「一連の騒動に対する事実上の反論で、彼女の目から見た“真相”が綴られた『あの日』は発行部数が26万部超えの大ヒットを記録。小保方さんは3600万円以上の印税を手にしたとみられています。2018年3月には、自身の日記を一冊にまとめた『小保方晴子日記』(中央公論新社)も上梓。STAP細胞騒動後にうつやPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされた日常を、赤裸々に告白しました」(前出・科学誌記者)
日記というスタイルで自ら私生活を“暴露”したこの書籍も話題を呼び、その後、週刊誌のグラビアページにも登場。研究者時代とは打って変わった“クールビューティー”な風貌に世間は驚かされた。まるで第二次小保方ブームの到来すら予感させるほどの豹変ぶりだった。