【書評】『方舟を燃やす』/角田光代・著/新潮社/1980円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
角田光代の「語り」の力が存分に堪能できる長編小説だ。立場の違う男女を主人公として、視点を交替させながら、時代の移り変わりや大きな出来事をクロニクル的に追って物語っていく形式は、角田光代一流のスタイルと言える。
一九七〇年代には、ノストラダムスの大予言が一世を風靡し、「一九九九年七月に人類は滅びる」と信じられた。「口裂け女」の都市伝説が大流行し、子どもたちは集団下校をした。そんなオカルトはいずれ下火になっていくが、入れ替わりにより凶暴なカルト教団が現れて毒を撒き、大震災でひどいデマが飛び交い、二十一世紀には「フェイクニュース」などという言葉が大統領の口から飛びだす。噂、言い伝え、ネットミームに人びとは踊らされる。
そうした“不信の時代”に本作が描くのは、一つに、思考と努力の空回りということだ。
主人公の一人柳原飛馬は一九六七年生まれ。砂丘のある県に暮らす一家の次男だ。昔々、祖父は大地震を「予知」して知らせることで共同体を救った英雄だと、父に聞かされて育つ。彼が小六のころ母が病気で入院するが、飛馬は入院患者らの会話を漏れ聞いたことで、母は不治の病だと思いこんでしまい……。この二つの聞き伝えは半生、彼の生き方を左右することになる。
望月不三子は一九四〇年代末に東京に生まれ、二〇代半ばで出産。妊娠中に教会経由でマクロビオティック的な料理の教えに出会い、野菜や玄米を中心とした手作りに拘り、ワクチン接種も避け続ける。しかし彼女の料理に夫は口をつけず、いつしか娘の心も離れてしまう。孫のできた息子夫婦も寄り付かない(気がする)。
終盤で不三子は言う。「何をしても何をしなくても、バラバラになることはあるんでしょうね」と。また、飛馬は亡母の声を聞く。「大勢を助けようなんて思わんでええの。英雄なんかにならんでええのよ」と。“正しい判断”なんて無い。空回りもれっきとした人生の一部なのだ。
※週刊ポスト2024年4月26日号