放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、浅草キッドの玉袋筋太郎について綴る。
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今コンビ活動を休止している漫才の浅草キッド(水道橋博士と玉袋筋太郎)。玉なぞ高校生の頃から『ビートたけしのオールナイトニッポン』をやっている有楽町まで来て、放送が終わって飲みに行くたけし&高田の車をチャリンコでいつも四谷まで追いかけてきた。新宿生まれで新宿育ち、根っからの東京っ子、町っ子なのだ。気性は江戸っ子。ここら辺が私ともよく気が合う由縁。私は渋谷で生まれ世田谷で育ち若き日は西新宿に住み、働きずくめ、飲みずくめだった。
芸人になってからも兄弟子の“たけし軍団”のように団体芸を極めるのではなく相方と漫才をやりたいと意志表示。キッドはたけしから浅草フランス座へ預けられ、貧しさと芸道を知り、私の処へとび込み漫才ライブをやり続けた。時事ネタと禁止ネタを十八番とする二人は私の懐刀(ふところがたな)だった。
あの頃から何年たつのだろう。玉から本が届いた。タイトルを見て「ふざけんなこの野郎」とつっこんだが心を落着かせページを開いていった。『美しく枯れる。玉袋筋太郎』(KADOKAWA)だとさ。近年の苦悩など書いてあり私も知らなかった事実まで。「おいっ玉、大丈夫か」というのが率直な感想。
事務所の問題などで師匠とも別れ、あの騒ぎで相棒とも別れ、独り頑張ろうと始めた“スナック玉ちゃん”もコロナで閑古鳥。初孫は嬉しかったが、認知症気味の母は施設へ。友人、作家の西村賢太には先立たれ、そしてとうとうあれだけ尽くしてくれたいいカミさんも、酒や遊びに愛想を尽かして出て行っちゃった(ちっとも知らなかった)。父の自殺のことまで明かすようになった。
帯には「なんだかさ 人生ってのは難しいよな?」とあって「玉ちゃん流・人生後半戦の歩き方」。56歳、まだまだやれる。そのうちあの陽気なカミさんだ、帰ってくるに違いない。ドラマ『浅草キッド』は劇団ひとりが手柄をとったが、本家浅草キッドとしては美しく枯れ味が出てくるのではと思う。
私は心の中で昔から、東京の風景と人の群れを語れる二代目毒蝮三太夫は玉だと思っている。毒蝮と玉の対談を読んでいたら玉が「蝮さんもう87歳でしょ。よくそこまでずっと仕事してますネ」蝮「それはこの名前だよ。前の石井伊吉のままだったら年とって仕事来ないよ。名前をつけてくれた談志にゃ大感謝だネ。玉だってそうだよ。タケちゃんにいい名前付けてもらって飯が喰えるんだから感謝しなくちゃ」「ハイ」。
浅草キッドは頼りになった。美空ひばりの『東京キッド』ではないが“右のポッケにゃ玉袋~、左のポッケにゃ水道橋~”だった。
※週刊ポスト2024年4月26日号