突然の再始動宣言から約1年半。伝説の歌姫・中森明菜(58才)が音楽活動を再開し、完全復活に向けて大きな一歩を踏み出した。恩讐を越えて30年ぶりの“再会”を願う彼女の家族には、いまこそ伝えたいメッセージがあるという。
「歌っている姿を久しぶりに見て『よかった!』としみじみ思いました。彼女は来年、還暦を迎えますが、年齢より若く見えるし、体もよく動いている。一時はずいぶん心配しましたが、すっかり体調もよくなっているようで安心しましたよ」
弾んだ声でそう語るのは、中森明菜の3才上の兄である。4月3日、YouTubeの公式チャンネル「AKINA NAKAMORI OFFICIAL」で、明菜が往年のヒット曲『TATTOO』のジャズバージョンを披露した。高く結んだポニーテールを小刻みに揺らし、スイングしながら楽しげに歌う姿は、伝説の歌姫の“完全復活”を予感させるに充分な映像だった。
「動画の再生回数は瞬く間に480万回を突破(4月17日時点)。翌週、セルフカバー曲の第2弾として公開された1987年のヒット曲『BLONDE-JAZZ-』も250万回以上再生され、根強い人気と世間の関心の高さを知らしめました」(芸能リポーター)
一連の動画は5月に明菜がデビュー42周年を迎えるにあたって、5週連続でアップされる予定の特別企画。どの曲をカバーするのかは公開当日まで伏せられているため、動画の更新を心待ちにしているファンは少なくないという。
「明菜さんは、昨年12月にも『北ウイング-CLASSIC-』を歌うモノクロの動画を公開していますが、今回のように鮮明なカラー映像がメディアに流れるのは2014年のNHK『紅白歌合戦』以来、約10年ぶり。7月には都内の会場でファンミーティングを行う予定もあり、公の場に久々に姿を見せることも注目を集めています」(レコード会社関係者)
2017年末にディナーショーを行ったのを最後に、表舞台から姿を消していた明菜が“再始動”を宣言したのは2022年8月。デビュー40周年の節目に前事務所から独立し、自ら個人事務所「HZ VILLAGE」を立ち上げての再出発だった。
「長い沈黙を破って、ホームページやSNSにメッセージを掲載し、体調と向き合いながらゆっくり歩き出していくことを宣言。同年12月にはファンクラブも開設しています」(前出・レコード会社関係者)
前出の明菜の兄が語る。
「ありがたいことに、自分の周りでももう一度歌ってほしいと言ってくれるかたがたくさんいました。事務所が変わって、そろそろまた活動できるかなと思っていたので、こうして元気な姿を見ることができたのは本当にうれしい。まだ父には話していませんが、明菜の復活を伝えたらさぞかし喜ぶでしょうね」
今年、90才になった明菜の父は昨年末から入院生活を送っているという。
「散歩中に転倒して肋骨と右手を骨折してしまい、いまも病院にいるんです。介護施設に入る予定もあるのですが、なかなか条件が合わなくてね。実は、父はもう自力で食事をとることができず、管を通して栄養を摂っているような状態なんです。自分も長らく明菜と会っていませんが、何とか連絡を取って父の状況を伝えたい」(明菜の兄)
家族思いだった明菜が中森家と“絶縁”したのはいまから30年以上前のことだった。
「金銭トラブルや最愛の母の病死など、さまざまな原因が報じられてきましたが、真相は判然としていません。若い頃から事務所スタッフや恋人の裏切りに傷つけられてきた明菜さんは、一時期、極度の人間不信に陥っていました。家族が自分のお金を使い込んでいると疑っていたこともあり、1995年にお母さんが亡くなる前に自分の意志で中森家の戸籍から抜けてしまったのです」(中森家の知人)