5月11日、日本相撲協会は67歳の尾車親方(元大関・琴風)が退職したと発表した。一昨年4月に65歳で定年となり、その後は再雇用の参与となっていた。再雇用の親方は70歳まで協会に残れる制度になっているが、協会ナンバー2の事業部長も経験した大物が任期を3年残して退職したことに、衝撃が広がっている。
尾車親方が65歳の定年を迎えたタイミングで尾車部屋は閉鎖となっていた。部屋付き親方だった押尾川親方(元関脇・豪風)は矢後らを連れて独立し、もうひとりの部屋付きだった中村親方(元関脇・嘉風)は二所ノ関部屋に内弟子8人と移籍した。尾車親方は押尾川部屋の部屋付き親方になっていた。今回、67歳での退職となったことについて、相撲担当記者はこう言う。
「『尾車』の年寄名跡を佐渡ヶ嶽部屋に戻すというのが表向きの理由とされています。もともと、『尾車』は先々代の佐渡ヶ嶽親方(元小結・琴錦)の弟子だった琴ヶ濱(元大関、53歳で死去)が継承していた佐渡ヶ嶽部屋に伝わる年寄名跡です。当時は一門内の継承だと大きな金額は動かず、それゆえ佐渡ヶ嶽部屋から年寄名跡を戻すように言われたら断われない。ただ、佐渡ヶ嶽部屋で引退間近の力士がいるという事情があるにしても、このタイミングでの退職には多くの関係者が首を傾げている」
尾車親方は2012年から協会理事を5期10年にわたり務め、八角理事長のもとでは協会ナンバー2の事業部長も務めた。定年後も八角理事長への影響力を保持していたとされ、「協会を離れるなんて話は発表まで一切出ていなかった」と相撲ジャーナリストは話す。
「定年後に参与となった親方は通常、若い力士の礼儀作法の教育係として生活指導部に所属するもの。それが尾車親方は広報部に所属し、力を持ち続けていました。そもそも、再雇用制度は2012年の北の湖理事長政権下で決まったもので、その実現に奔走したのが尾車親方。再雇用される親方衆は給料が正規雇用の7割に減るが、それでも5年で約4000万円にのぼる。この制度によって慢性的な年寄名跡不足が発生し、譲渡に際してのカネも再雇用期間分の給料(約4000万円)が上乗せされるという、価格高騰をもたらす悪名高いルールになっていた。
その制度づくりに携わった尾車親方は、70歳の誕生日まで参与の立場にしがみつくとみられていたが、“老兵は消えるのみ”と言って佐渡ヶ嶽部屋に奉還するというかたちをとった。これにより、悪名高いルールを作った尾車親方が潔いと評価され、現在参与になっている8人の親方衆が協会にしがみつくイメージを持たれて肩身が狭くなるという奇妙な状況が生まれています」