俳優の中尾彬さんが亡くなった。81才だった。生前は妻の池波志乃(69才)とメディアに登場することも多く、芸能界随一のおしどり夫婦として知られていた。
中尾さんは、1970年に女優の茅島成美(81才)と結婚して長男にも恵まれたが、中尾さんの不倫が発覚して離婚。その後、池波と再婚することとなる。近年は熱心に“終活”に取り組みながら、夫婦でより濃密な時間を過ごしていたという。【前後編の後編。前編を読む】
池波との結婚後、私生活が落ち着いた中尾さんは仕事に精を出し、俳優業だけでなくバラエティーにも引っ張りだこの人気者となった。売れっ子になっても大切にしたのは、妻と一緒に過ごす時間だった。
「ふたりとも食べることが大好きな食道楽で、夫婦で家にいる日の食事は志乃さんの手料理のフルコース。いつもお酒と会話を楽しみながら、のんびりと2時間かけてじっくり食事を堪能していました。中尾さんは夫婦水入らずのこの夕食を『居酒屋しの』と呼んで、忙しい日々の中で心待ちにしていたそう。“ふたりだけの時間がもっとほしい”との思いから、子供をもうけようとしませんでした」(中尾さんの知人)
だがその選択には、“父”としての本音が隠されていたのかもしれない。
「再婚後の中尾さんは、メディアや周囲に“俺には子供がいない”と口にしてきました。これは“志乃さんとの間に”という意味なのはわかっていましたが、どこかで息子の存在を忘れるために言っているんじゃないかと思うこともありました。
離婚後、中尾さんは一度も息子と顔を合わせていません。でも会いたい気持ちがあったようです。いまから二十数年前だと思うのですが、息子が結婚した前後、彼に“会いたい”と連絡したことがあったんです。ただ、その願いが叶うことはありませんでした」(前出・中尾さんの知人)
中尾さんと池波は、芸能界ではいち早く「終活」に取り組んだ夫婦としても知られる。わずか半年の間に重なった、3つの大きな“災難”がきっかけだった。
2006年9月、沖縄のセカンドハウスに滞在していた池波は急にまぶたが開かなくなり、手足も一時的に動かなくなって救急車で病院へ搬送された。末梢神経に異常が生じる難病のフィッシャー症候群に襲われたのだ。
「同じ時期に志乃さんの母が末期の肝臓がんを患いました。中尾さんは忙しい合間を縫って、沖縄と志乃さんの母が入院する千葉の病院を行き来していました」(前出・中尾さんの知人)
中尾さんの看病もおよばず、同年11月に池波の母が他界。すると今度は2007年3月に中尾さんが仕事先の大阪で倒れ、病院に運ばれた。
「急性肺炎および筋肉が壊死するという横紋筋融解症を発症し、多臓器不全を併発しかねない危険な状態でした。病院に駆けつけた志乃さんに医師は、“生存率は20%”と告げたそうです。一命はとりとめましたが、ふたりはいずれ自分たちの体が動かなくなる日が来ることを悟ったのです。“人生何が起こるかわからない”との覚悟を固め、これからは自分たちの生活を縮小していこうと話し合いました」(池波の知人)
本格的に「終活」を始めたのは2013年。まず、残されたきょうだいや親戚が揉めないように証人の立ち会いのもと、遺言状を作成した。
「その後、千葉・木更津にある中尾さんの実家を改装したアトリエと、沖縄のセカンドハウスを売却しました。また、東京・谷中にある志乃さんの実家の菩提寺に、夫婦が入るお墓を新たに建立。このお墓には、志乃さんの母方の祖父母と、両親も眠っています。中尾さんが“みんなで一緒に土に還ると思えばいいんだよ”と志乃さんに提案したそうです」(前出・池波の知人)
売れっ子の芸能人夫婦だけに断捨離のスケールも大きく、食器や台所用品に加えて1万枚の写真やトラック2台分の推理小説を廃棄。「ねじねじ」と呼ばれて中尾さんのトレードマークだった大判のストールも200本処分した。中尾さんはモノだけでなく、人間関係も整理した。
「もともと中尾さんは、周囲をライバルとみなして孤独を好むタイプだったので、芸能界の友人が少なかったのですが、コロナ禍で仕事が減ってからは仕事関係者など親しい人との関係も断っていました」(前出・中尾さんの知人)