東急多摩川線・武蔵新田駅から30秒。真ん前を電車が往来する「飯田酒店」は創業130年超を誇る。「私の代で店をお終いにしたくはないわね」と、御年88才の3代目女将・飯田恵美子さんが、毎日笑顔で「おかえりなさい」と客を迎えてくれる。角打ちは、創業から。「賑やかでいいわね。人情とふれあいがありますよ」(女将)
石川県から酒屋に嫁いできた女将は、姑である先代の女将から商売のイロハを習ったという。
「戦争で焼夷弾をくらって店が燃えたときにね、お義母さんは、暖簾とそろばんだけを持ち出して逃げたのだそうです。売掛帳は火の中に置いたまま。お客さんのツケはなしにしたってことね。お客さん第一。この店に伝わる心意気です」(女将)
通い歴50年の常連は、「お母さん(女将)はこの街の生き字引。困った人は助けるし、ダメなことはダメと言ってくれる人。俺はこの店で人生勉強したようなものだね」と、定年した今も定期券を買って店に通うほどだ。
転勤で街を離れた昔馴染みが挨拶に顔を出したり、暑中見舞いや年賀状を送り合ったり、女将とは息の長い付き合いが続く客が多いそうだ。
自称「三匹のおっさん」という名物3人組の常連客は、いまや2人になった。「理由はね、ひとりは福島へご栄転になったから。でも2人はいつもいるよね」(自動車部品業)。
「ここはね、登竜門らしいの。うちのお酒を飲むと出世するんですって」と女将はふふふと笑う。
「うちは、目の前が線路でしょ?だからいいことがあるの。いくら大きな声で笑っても電車の音でかき消されるから気兼ねがいらないのよ。でもね、争いの声が出たことは開業以来ない。それが自慢です」(女将)。
昭和の時代は、多摩川沿いに工場が多く、駅近のここは仕事帰りの一杯客でぎゅうぎゅうだったという。
「あんまりお客さんが多いときはね、号令をかけたものよ。『全体、斜め!』ってね(笑い)。そしたら、みんなスッと体を斜めにしてくれて、もうひとりお客さんが入れるの。それでも満員のときは、『選手、交替!』と叫んだりしてね」と、女将が思い出話をしてくれた。
「お母さんはずっと何も変わらないね。娘の真里ちゃんは、ランドセルを背負った小学生だったのが、立派な大人になっちゃったけど」と、50年来の常連はしみじみ語る。
真里さんは、4代目を引き継ぐ予定で、会社勤めが終わったあと、夕方から女将と一緒に店に立つ。
現在も年代、性別に関係なくさまざまな人が飯田酒店を慕ってやって来る。
「昔は醤油や塩を量り売りしていたとか、お母さんが教えてくれる古い時代のお店の話を聞くのが楽しいです。あと、現役バリバリの会社員の方と話ができるのも、自分とは全然違う世界が広がるから勉強になる。週に2回は来ています」(20代の女性、経理)