【書評】『馬の惑星』/星野博美・著/集英社/2200円
【評者】与那原恵(ノンフィクション作家)
ノンフィクション作家の星野博美は独自の視点で世界に横たわる複雑な歴史を見つめる旅をしてきた。前作では古楽器リュートに魅せられてキリスト教の深淵に迫ったが、今回の旅に誘ったのは馬だ。〈馬に乗ると、これまでに味わったことのない感覚が芽生える。体の奥深くに潜んだ何かが呼び起こされるような感覚〉があるという。
人間を乗せて歩く数少ない動物である馬は、人々の移動を促した。だが移動先には〈宗教も風俗習慣も異なる人々〉が住む。文明の交流や融合をもたらす一方、衝突や覇権争いも生じ、土地を追われる人々が続出。勢力地図の変遷は馬なくしては語れないものだった。
著者はときに馬にまたがり、モンゴル、スペイン南部のアンダルシア、モロッコやトルコなどをめぐるなか、紀元前から現代にいたる時の流れと交錯する。
モンゴルでは「民族の祭典」ナーダムを見学。巧みに馬を操ったモンゴル軍の戦術に目を見張り、世界帝国を築いた時代に整備した駅伝制度「ジャムチ」が版図を広げたことを実感した。
スペインはイスラーム教徒との接触が最も長く続いた。キリスト教徒はイスラーム勢力からの解放運動「レコンキスタ」を展開したが、ユダヤ教徒も含む異文化共存社会の名残が消え去ったわけではなかった。モロッコではラクダにも乗る。砂漠での長距離移動に適したラクダと、短距離の高速移動に向く馬との使い分けが腑に落ちたのだった。
著者は現地の人々や旅人との意義深い語らいも重ねた。だがトルコ滞在時にはテロが頻発。民族対立、そして歴史とは、その時々の生々しい現実の連なりであり、現在なのだ。そのトルコで開催されたワールド・ノマド・ゲームズ(国際遊牧民競技大会)には各国選手らが参加。地続きでありながら異なる民族衣装や言語はバザールの光景を彷彿させた。現在の国境線が敷かれる以前の〈まだ見知らぬ世界〉に私も出会うことができた。
高く広い馬上の視野を確保しつつ、馬の歩調にも身を委ね、世界の歴史を見渡した旅の記録だ。
※週刊ポスト2024年6月7・14日号