芸能
2024.06.13 07:00
週刊ポスト
【吉永小百合・デビュー65周年】日活という学校で学び、青春映画の中で放たれた可憐なマドンナ 共演者・カメラマンが語るその輝き
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日活映画は吉永小百合にとっても青春そのものだった
『太陽は狂ってる』(1961年 監督/舛田利雄)浜田光夫と
『若い人』(1962年 監督/西河克己) 石原裕次郎、浅丘ルリ子と
『青春のお通り』(1965年 監督/森永健次郎) 左から松原智恵子、浜川智子、吉永、浜田光夫
『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年 監督/山崎徳次郎 ) 赤木圭一郎と
『ろくでなし稼業』(1961年 監督/斎藤武市)
『ひとりぼっちの二人だが』(1962年 監督/舛田利雄) 坂本九と
『キューポラのある街』(1962年 監督/浦山桐郎)
『いつでも夢を』(1963年 監督/野村孝)
『若い東京の屋根の下』(1963年 監督/斎藤武市) 浜田光夫(左)、山内賢(右)と
『潮騒』(1964年 監督/森永健次郎) 撮影中に
『青い山脈』(1963年 監督/西川克己)
『父と娘の歌』(1965年 監督/斎藤武市)
『若草物語』(1964年 監督/森永健次郎)
吉永小百合(よしなが・さゆり)/1945年生まれ、東京都出身。1957年、小学5年の時にラジオドラマ『赤銅鈴之助』でデビュー