【書評】『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯(上・下)』/板谷敏彦・著/新潮社/各2750円
【評者】平山周吉(雑文家)
二・二六事件の犠牲となった高橋是清の遺体写真を見たことがある。近代日本の「偉人」の中では、最も型破りで、最も愛嬌のある「ダルマ」の死は、昭和史を十年先取りした無惨な最期だった。
是清の『自伝』はいまも中公文庫で読み継がれるロングセラーだが、日露戦争時の外債募集までしか語られていない。サービス精神満載、波乱万丈の半生はそれだけで面白いが、むしろ大正昭和の政治家時代こそ、あの調子で語ってもらいたかった。
本書はその希望に応えるかのように、上下二冊でたっぷりと八十一年の生涯を描き切る。『自伝』の盛り過ぎ部分は訂正し、「国家の命運は目先の軍事力ではなく経済力が決める」時代を、首相、蔵相(六回も)として、出番のたびに老体に鞭打つ。それでいて奇妙に若々しい姿が、印象的に描かれる。「臨機応変」ですばやく対処する。
日露戦争はけっして「勝利」ではなかった。日清戦争とは違い、賠償金はとれなかった。是清が欧米で戦費として借りた「外債」の返却は重荷となって財政にのしかかる。
「一等国への仲間入りを果たすが、その内実は戦時に借りた借金の返済に追われながらも新型戦艦を建造しなければならない」
この経済数字入り、図解入りの評伝は、後半は膨張する軍事費との戦いの軌跡となる。政治家となっても腹芸は苦手で、恐れずに正論をぶち上げる。参謀本部の廃止、文部省の廃止、対中国への要求の緩和など。はたまた、軍部大臣の文武官併用、軍備半減、枢密院改革と、人が触れるのを避ける聖域に巨体で斬り込む。
日本国破綻への警鐘を、政治の現場で、予算編成の攻防で、身体を張って訴え続けた是清像は、本書で確かに読者のそばに届いた。是清に配するに、日露戦争時からの部下である「堅物」深井英五(日銀総裁)を脇役に据え、女婿の日記から、是清の肉声をも引き出す。千ページを超える長丁場だが、是清「ダルマ」と一緒だと、まったく飽きない。数字と共に近代日本の悲劇が頭に入る。
※週刊ポスト2024年6月28日・7月5日号