日本各地が荒天に見舞われた6月18日、沢田研二(76才)の全国ツアーライブ『甲辰 静かなる岩』が開催された東京国際フォーラムの会場内も“荒れ模様”となった。異変が生じたのは、開演直前。居合わせた長年の女性ファンが振り返る。
「観客からも見える場所に関係者席が設けられていたんですが、その日はもうすぐ開演というタイミングでも、横並びで4~5席が空いたままでした。都内でのジュリーのコンサートにはザ・タイガースの元メンバーらが駆けつけることも珍しくないので、もしかするとサリー(岸部一徳)やピー(瞳みのる)、タロー(森本太郎)たちが入ってくるのかもと、会場には期待感も漂っていたんです」
だがファンの前に降臨したのは意外な人物だった。明るめの髪に赤縁めがね、デニムパンツに紺の上着を羽織った、ジュリーの妻・田中裕子(69才)だ。
「スタッフと一緒に足早に会場に入ってきて関係者席に座ったのですが、昔からのジュリーファンはすぐに彼女が“裕子”だと気づいていましたね。一部のファンからは、“信じられないわ!”などのどよめきの声が上がっていました。彼女がライブ会場に来たことはあるけれど、いつもはほかの客の目が届かない後ろの席にいるんです。あの日はなぜか堂々と“センター”に座ったんです」(前出・女性ファン)
沢田と田中は1982年公開の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演。その後、田中が歌手としての初コンサートを行う際に沢田が音楽監督を務めるなど急速に関係を深めた。当時、沢田には妻子がいたため、ふたりの関係はスキャンダラスに報じられたこともあった。
「田中さんは“魔性の女”と呼ばれてしまいました。結局、沢田さんは1987年に離婚。1989年に田中さんと再婚すると“略奪婚”として大騒ぎになった。往年のファンのなかには、こうした“なれ初め”でジュリーと一緒になった彼女を、いまでも快く思っていない人もいるんです」(芸能関係者)
彼女がこれまで後方の席から夫のステージを見守ってきたのも、そんなファンの思いを知った上での配慮だったのだろう。しかしこの日は、どうしてもあの席に座らざるをえない理由があったようだ。
「実はファンが期待していた通り、本来ならザ・タイガースの元メンバーが来場する予定だったんです。コンサート後には、全員で打ち上げも予定されていました。ところが記録的な大雨の影響で、急遽キャンセルに。田中さんとスタッフは席が空いたままでは見栄えが悪いと感じて、ファンの批判を覚悟の上であの席で鑑賞することを決めたようです」(ライブ関係者)
まさに“嵐を呼んだ”ジュリーは、圧巻のパフォーマンスで会場を魅了した。一方の田中は、ライブが終わるとすぐに身をかがめて席を立ったという。興奮冷めやらぬファンが会場を後にした19時過ぎ、東京の上空から雨雲は消えていた。
※女性セブン2024年7月11・18日号