映画監督の父のもとに生まれた稀代のマルチな才人・伊丹十三さんは、51歳にして映画監督デビュー、それから40周年を迎えた。初長編の『お葬式』(1984年)では、あまりにも不吉なタイトルで世間の度肝を抜いたが、実際のお葬式の一部始終を描き抜いたディテールと、笑って泣けて時には官能的な人間喜劇が詰め込まれた前代未聞のストーリーは、異例の大ヒットとなった。多くの伊丹監督作品に出演した俳優・山崎努(87)に思い出を聞いた。(文中敬称略)
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「ものを作る人間同士の付き合いってね、濃いものがあるんです。必ずしも“仲良しさん”ばっかりで通すわけにもいかない。互いに自己主張して、うまく組めれば理想だけど。今、考えてもね。伊丹さんは僕にとっても特別な人、とても大事な人なんだ」
伊丹が絶大な信頼を寄せた俳優・山崎努(87)に在りし日の思い出を聞く。年齢は伊丹が3歳上だが、映画デビューは同じ1960年。ふたりは「自分たちには面白い役が来ない」という不満で気心は通じ合った。ならば自分で映画を作ると動いたのが伊丹だった。
「驚いたね。『お葬式』の撮影では大変な集中力だったし、すごいパワーと好奇心があった。自分を律する極端なところもあってね。撮影中にどんどん痩せていってさ。食事制限してるって。『こんな楽しいことをしていると自分に何か課さないとバチが当たる』とか言ってさ。心配して牛肉を買っていったけどね(笑)。そういうのが好きな人なんだよ」。
山崎は3作目『マルサの女』まで出演したが、以降は『静かな生活』(1995年)を除けば出ていない。伊丹流の細部にこだわる演出と、山崎が求める自由な役作りが噛み合わなくなっていたのが理由だった。
「演技することが息苦しくなっちゃってね。自然と離れていった。久々の『静かな生活』では勝手にやってやるぞと思ったら、自分で9回くらいNGを出しちゃってね。最後までやり終えたら、伊丹さんが『山さんがOKならOKです』って。皮肉な再会だよ。あとで細かいところを指摘されて、仕返しされた(笑)。そういう仲だったから、互いにどこかで楽しんではいたんだ」
喧嘩別れではない、ふたりにしか知り得ないわだかまりがあった。今でも山崎の夢には、よく伊丹が姿を現わすという。
「夢でもずっと喧嘩してたんだから(笑)。でも何年か前に初めて彼の記念館を訪れてね。僕は仲直りするつもりで行ったんです。なんとなく気になっていたんだ。それからは、夢の中でも、仲直りしていたよ」
取材・文/奥富敏晴(映画ナタリー) 企画協力/松家仁之
※週刊ポスト2024年7月12日号