【書評】『陰謀論はなぜ生まれるのか Qアノンとソーシャルメディア』/マイク・ロスチャイルド・著 鳥谷昌幸、昇亜美子・訳/慶應義塾大学出版会/2970円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
「もしトラ」が日本では待望論に似て喧伝される。陰謀説が日常化し政治家にもその種のメンタリティーの持ち主が相応にいることに慣れ親しんでいる日本ではQアノン米連邦議会議事堂襲撃事件も所詮は迷惑YouTuberかリアリティーショーの行き過ぎ以上の印象を恐らくは残してはいないのだろう。
確かにQアノンの陰謀説自体はある意味定番でしかも前世紀の時点で既に賞味期限の切れたポピュラーカルチャーだった。その周回遅れの政治化がQアノンである。本書は2ちゃんねるのアメリカ版4chanに始まってオンライン上の「投稿」がどうやって議会を襲撃するような「運動」になっていったのかをその間の政治の動きと関連づけ詳細にトレースしていく。
本書を読んで再確認できるのはオンライン上の「投稿」が集合知としての陰謀説を作り上げていく過程だ。Qは全てを語るわけではない。そこが同じ陰謀説で信徒をテロにまで誘導し得た麻原彰晃と違うところだ。
オウムに於いては麻原は唯一の「歴史」の語り手であった。対してQアノンはみんなで作る陰謀説だ。Qは謎めいた詩の類を「投稿」する。これをドロップといい信奉者たちはその意味を「解釈」し投稿する。「解釈」のために彼らは情報を必死で検索する。Do your own researchが彼らの標語であり彼らは自ら「調べ」「考察」して自前の「歴史観」を作り出す。つまり自発的な「投稿」こそが「動員」の新たな仕掛けなのだ。
そう考えた時、私たちの日常化したSNSへの「投稿」も実は自発的動員だと思うと腑に落ちることが少なくない。新作アニメに観客の「考察」と呼ばれる投稿が氾濫しこれをうまく管理すればヒットにつながることはジブリの『君たちはどう生きるか』が実践して見せた。なるほどアニメなら自前の批評による動員も罪はない。しかし歴史はどうか。教科書の教えないと称する「自前の歴史」が跋扈して久しいが私たちは今やカジュアルなQアノンとなっていないか。
※週刊ポスト2024年7月12日号