「最初に食べたご馳走はなんですか?」。子供の頃に母が作ってくれた料理、上京したときのレストラン、初任給で行った高級店……。著名人の記憶に刻まれている「初めて食べた忘れられない味」を語ってもらい、証言をもとに料理を再現するこの企画。今回は津田寛治さんに、忘れられないご馳走を教えていただきました。
高校を中退し、俳優を目指して福井県から上京した津田寛治さん。飽きっぽいところや、皆で一緒に同じことをやらなきゃならない集団生活みたいなものになじめないのは、父親譲りだと語る。
津田さんが望めば、いくらでもおもちゃを買い与え、時には店主がいさめるほど子煩悩だった父は、同時に寡黙な「昭和の男」でもあったという──。
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父はペンキ屋さんとか職人系の仕事を転々とした後、ぼくが小学校低学年のときには「サンデー福井」というミニコミ紙のようなローカル新聞を作っていました。自分で取材をして、記事を書いて、封筒に入れて送るところまで全部やるんです。けっこう忙しくしていて、あまり会話をした記憶もありません。
この頃、外食といえば、おそば屋さん。近所の用水路のような小川のほとりに、小体な昔ながらのお店がありました。注文するメニューはいつも同じで、父は越前おろしそば、母はソースカツ丼。ぼくは、ざるそば。福井では、おそば屋さんのメニューに、ソースカツ丼があるのは定番なんです。
ソースカツ丼は信州や福島、群馬などでも名物ですが、ご飯の上にキャベツを敷いて、その上にカツというのが一般的ですよね。福井のソースカツ丼は、ヨーロッパ軒という洋食屋さんが発祥とされています。ドイツで修業をした創業者がシュニッツェルから着想を得たもので、ご飯の上にソースカツだけがのっている。
いま、福井のソースカツ丼というと、肉の枚数だったり切らないスタイルだったり、ヨーロッパ軒さんに寄せたものが多いですが、ぼくが小さい頃はもっと自由な感じでしたけどね。母が食べていたソースカツ丼には、10切れぐらいカツがのっていました。いつも丼の蓋にいくつかのせて、ぼくにくれるんです。