各地で「第106回全国高校野球選手権大会」の都道府県大会が行なわれている。酷暑のなか、8月の甲子園大会を目指す球児とともに、長時間にわたってグラウンドに立ち続けるのは数多くの審判員だ。プロ野球の審判員と異なり、彼らは“ボランティア”である。60歳を超えた今もアマチュア野球の審判員として活動する内海清氏に、『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が聞いた。(全4回シリーズの第1回。文中敬称略)
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1世紀以上の歴史を持つ春夏の甲子園は全国中継され、毎年、多くの人々が声援を送る。日本野球の嚆矢である大学野球は、かつてプロ野球以上の人気を誇った時期もある。
だが、アマチュア野球審判の“オフィシャルな歴史”は意外と浅い。
アマチュア野球規則委員会の公認審判員ライセンス制度がスタートしたのは2015年。講習を受講して審判の技術と見識を身につけると、各都道府県の審判員組織の認定によって3級審判員の資格を取得できる。3級取得から3年以上の実績を積んでペーパーテストと実技テストを受けて2級に昇格。さらに2級で3年以上の実績を積んで1級への昇級テストに合格すると、大学選手権など全国大会での審判員を務めることができる。
「私が審判となった頃は野球経験や職業をチェックされましたが、資格や試験といったものはありませんでした。ライセンス制度ができた2015年、すでに私は大学野球の全国大会で実績を積んでいたので、いきなり1級審判員に認定されました」
そう語るのは、県立尼崎高校野球部で甲子園を目指し、大学、社会人(軟式)とプレーした後に高校・大学野球の審判員となった内海清だ。主将を務めた大阪経済大学時代には、関西六大学野球リーグで優勝した経験もある。1994年に31歳で社会人野球を引退。審判員となった後は、信用金庫勤務の傍ら、週末を中心に年間80試合ほど審判員を務めた。2019年に尼崎駅前にバーを開店してからは、夏の地方大会が始まると平日も審判員としてグラウンドに立ってきた。