放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、10代の頃から知る戸田恵子の凱旋公演について綴る。
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「“凱旋公演”、響きは格好よくて、どうにか読むことは出来るんですけど……漢字じゃ書けません」と戸田恵子がマクラでひとつかみ。まばゆいばかりの輝きである。私が20代後半、戸田が10代の終り頃、NHKの子供番組で知りあってから50年、もはや芸界一の古き知り合いになったかも。芝居が達者でコントが良くて、歌手でデビューしてるから歌もうまい。なにしろ芸に貪欲。芸の勘がすこぶるいい。声優としてもアンパンマンを始め文句なし。
私の長男が小学生の頃、当時やっていた『ゲゲゲの鬼太郎』の声でカセットに吹きこんでくれた。「○○クン、しっかり勉強していっぱい遊んでネ。そしてお父さんのことを尊敬するんだよ」
大好きな鬼太郎に言われたからマジメに私を尊敬するようになった。ひと言でピシャリだ。次男が小学生の時は『きかんしゃトーマス』の声で「時々は勉強するんだよ。ゴハンをいっぱい食べてネ。お父さんは大切にしなくちゃいけないよ」。すぐに大切にするようになった。
その戸田の一人芝居『虹のかけら~もうひとりのジュディ』がNYのカーネギーホール公演から凱旋。カーネギーホールにも大・中・小と三ツあり、初めて日本人としてここにアイ・ジョージが立った時は日本中で大騒ぎでした。たしか1963年の頃だから60代70代の人達はあのニュースの興奮は覚えていると思う。その後1976年には朱里エイコが立っている。
『虹のかけら』は三谷幸喜の構成・演出。小ホール。ジュディ・ガーランドは『オズの魔法使』などで知られるミュージカルの大作で輝き続けた女優。もう一人のジュディは同名で専属の代役やら付き人、お手伝いなどをやって尽くした女性。実はこの付き人がジュディ・ガーランドについて毎日目にしたことを日記につけていたからさあ大変。付き人の目を通したジュディへの愛憎やら人に言えない数奇な人生。余談だがたしかその昔浪花の漫才師“ミヤコ蝶々”もやったことがあった。
芸に優れた人の心や苦悩が分かるから芸達者な戸田に乗り移ってできるのだろう。後日戸田からお礼があって「凱旋の時はNYからジュディが憑いてきてるようでした。高田センセはアイ・ジョージ世代ですよね」だと。ほっとけ。
古き(1891年)カーネギーホールから最も新しい劇場、吉本が創って明石家さんまが支配人(?)の後楽園「IMMシアター」。“生きてるだけでまるもうけ”のIMMらしい。中川家、サンドウィッチマン、ナイツの「漫才サミット」。こざっぱりしたいい劇場だった。東京のお笑い事務所も力を合せて劇場持たなきゃ。
※週刊ポスト2024年8月9日号