【書評】『隠された聖徳太子 近現代日本の偽史とオカルト文化』/オリオン・クラウタウ・著/ちくま新書/1012円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
聖徳太子とのちによばれた皇子は、飛鳥時代の朝廷を生きた。『日本書紀』には、その超人的な活躍ぶりがしるされている。ただ、そこにあらわされた人となりは偉大でありすぎ、信用しきれない。じっさいの太子がどういう人であったのかは、あいまいである。
そのため、太子像をめぐっては、これまで多くの臆測が語られてきた。唄は世につれ世は唄につれと、よく言われるが、太子語りもそういう一面をもつ。太子のイメージは、時代のうつりかわりとともに、けっこうゆりうごかされてきた。歴代の太子論は、それがとなえられた時代相をしめす鏡像にもなっている。
著者は、日本と西洋の交流がさかんになった近代以後の語り口を、まずおいかけた。たとえば、厩戸という名前の由来が、キリスト教と関連づけられるようになる。あるいは、広隆寺の設営を太子に託された秦氏が、ユダヤ人としてとりざたされだした。そんな時代の趨勢を、おいかけている。
偽史の論じ方が国際化されたのだと、言うべきか。のみならず、著者はそういった語りがアカデミックな場から流出していったことを強調する。市井の好事家が、とんでもないことを言いだしただけではない。しばしば、大学世界の研究者からでまわりだしたことを、特筆した。
法隆寺は、太子のたたりにおびえた人たちがいとなんでいる。1970年代にはいり、哲学者の梅原猛はそんな説を発表した。著者は、これをもアカデミックな場からの奇説として位置づける。
ただ、当時の梅原は大学をやめ、フリーの文筆家になっていた。売れる文章を書こうとする想いも、強くいだいている。その立ち位置が、奇説への接近をあとおししたという指摘は、おもしろい。
そして、梅原の説にも太子とキリスト教をつなごうとする近代の潮流は、とどいている。さらに、太子をオカルト説へさそう、その呼び水にもなっていた。以後、ニューエージ時代風の太子論がいきおいづく様子も、興味深い。
※週刊ポスト2024年8月9日号