8月7日に開幕する夏の甲子園大会。優勝候補と目される強豪校の活躍も楽しみだが、鉄壁と思われた強豪を打ち破るライバルたちの存在も目が離せない。2004年夏に選抜優勝校だった済美(愛媛)を破り初優勝した駒大苫小牧(北海道)の“恐怖の9番打者”に話を聞いた。
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20年前の夏、同年春の選抜を制した済美を決勝で破り、南北海道代表の駒大苫小牧が全国制覇を遂げた。その試合で3安打を放ち“恐怖の9番打者”と呼ばれたのが五十嵐大だ。今年4月から母校のライバル校となる札幌大谷(南北海道)の監督を務めている。
「球場全体が僕らを応援してくれているような雰囲気と、スネアドラムを使ったうちのブラスバンド応援が背中を押してくれました。甲子園には魔物がいると言われますが、あの日は魔物が僕らに味方してくれました」
済美には2年生エースの福井優也(元広島ほか)や、右の大砲・鵜久森淳志(元北海道日本ハムほか)がいた。
「地方大会からひとりで投げ続けていた福井君はさすがに疲れていたように思います。驚いたのは鵜久森さんの打球。ボールはサードを守っていた僕のすぐ頭上を通過し、振り返ったらフェンスに当たっていた。レフトスタンドで応援してくれていた母は、あまりの打球の速さに僕が死んだと思ったそうです(笑)」
巧妙なバントを武器とした五十嵐は、7回裏に9対9に追いつくタイムリーを放ち、シーソーゲームは13対10で決した。
「粘って粘って、勝負球に食らいついてヒットにできた。香田(誉士史)監督の教えが生きた3安打だったと思います」
五十嵐が3年生になった翌2005年、2年生の田中将大が投げて連覇に成功。2006年には斎藤佑樹(元北海道日本ハム)の早稲田実業との決勝引き分け再試合に敗れる。
2004年夏は、道内で「2.9連覇」と語り継がれる栄光の序章だった。
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2024年8月9日号