8月7日に開幕する夏の甲子園大会。長い歴史のなかには、誰もが優勝候補筆頭にあげられる強豪校が、意外な形で敗れる“ジャイアントキリング”は高校野球ファンなら忘れられないだろう。2002年、強豪・大阪桐蔭(大阪)を破った下関国際(山口)の選手に、当時を振り返ってもらった。
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2018年夏、下関国際は2度目の甲子園でベスト8に進出した。その姿に憧れて入学した2022年夏のナインは、「先輩越え」を目標に2年半を過ごしていた。
先輩越えがかかる甲子園の準々決勝の相手は強豪・大阪桐蔭だった。
遊撃手ながら、終盤にはマウンドに上がって試合を締めくくる重大な役割を担った仲井慎(現駒澤大)が振り返る。
「大阪桐蔭のような学校に勝てなければ、ベスト4以上の景色を見ることはできない。だから春以降はずっと大阪桐蔭の動画を見て、どんな野球をやってくるのか頭に入れ、あらゆる対策を体に染みこませていました」
坂原秀尚監督が練習でこだわったのが、バント処理などの細かなサインプレーであり、投手と内野手の連係だった。
3対4の劣勢で迎えた6回裏、仲井がマウンドに上がると、情勢は大きく下関国際に傾く。命運を分けたのは7回裏、無死一、二塁のピンチ。
大阪桐蔭のバントが明確に想定されるケースで、同校の西谷浩一監督は2ボールからバントエンドランのサインを出した。だが、それが仇となった。バントはポップフライとなって仲井のグラブに収まり、仲井から二塁、そして一塁へと送られて三重殺が成立したのだ。
「さすがにトリプルプレーの練習はしたことがありませんでしたが(笑)、大阪桐蔭を追いかける展開を想定して日頃からケースバッティングなどに取り組んでいました。それが実った試合でした」
強豪・大阪桐蔭に5対4で勝利した下関国際は準優勝。仲井は駒澤大進学後は投手専任となり、プロを夢見ている。
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2024年8月9日号