ライフ

【書評】井上章一氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『滞日十年』駐日大使が著した後世へのメモ、一度K点をこえると後もどりできなくなってしまう

『滞日十年 上・下』/ジョセフ・C・グルー・著 石川欣一・訳

『滞日十年 上・下』/ジョセフ・C・グルー・著 石川欣一・訳

 敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。

 79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。

【書評】『滞日十年 上・下』/ジョセフ・C・グルー・著 石川欣一・訳/ちくま学芸文庫(2011年9月刊/上巻、同年10月刊/下巻)
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)

 グルーは、1932年に駐日大使として、日本へ赴任した。十年後の1942年にアメリカへかえっている。いわゆる真珠湾攻撃は、その在任中に勃発した事態である。グルーへ帰国を余儀なくさせたのも、これではじまった日米戦争のせいにほかならない。

 多くの外交官は、任地での記録を書きとめる。備忘録や日記、そして外交過程に関する記述をのこすものである。各方面とかわしあった手紙の数々も。もちろん、グルーもその例にもれない。膨大な数のメモを、後世へつたえている。これは、1944年に刊行された記録集の邦訳である。大部な書物だが、しかしもとの資料量はこの十倍をこえるという。

 日米間が難局をむかえていた時代である。グルーも、しばしばむずかしい判断をせまられた。舵取りのあやうさは、幕末の開国期にも匹敵しようか。そう言えば、グルーの妻は黒船で日本へきたペリー提督の兄と、血がつながる。グルーじしん、巻末で日米開戦以後の体験から、幕末のハリスへ想いをはせている。

 十年の滞在で、多くの日本人と知遇をえた。彼らの人となりにも、けっこう紙幅をさいている。意外な人物評とも、よくでくわす。広田弘毅や豊田貞次郎らへの高い評価は、とりわけおもしろい。よくある昭和史の読み物がおしえてくれない一面を、知らせてくれる。外交の現場をとおして、こういう月旦はつちかわれたのだろう。

 軍部の増長や対中戦争の肥大化へあらがう人たちの描写は、あたたかい。対米戦争をさけようとした人たちにも、とうぜん共感をよせている。しかし、そういう勢力も、けっきょくは時代の波におしながされる。その勢いに、当人じしんもふくめ抵抗しきれない様子は、やはりせつない。

 一度K点をこえると、なかなか後もどりができなくなる。諸外国のさまざまな思惑もおりかさなって、戦争へと事態をつきうごかしてしまう。今、読みなおされるべきと、書くのがつらい。

※週刊ポスト2024年8月16・23日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

上原多香子の近影が友人らのSNSで投稿されていた(写真は本人のSNSより)
《茶髪で缶ビールを片手に》42歳となった上原多香子、沖縄移住から3年“活動休止状態”の現在「事務所のHPから個人のプロフィールは消えて…」
NEWSポストセブン
ラオス語を学習される愛子さま(2025年11月10日、写真/宮内庁提供)
《愛子さまご愛用の「レトロ可愛い」文房具が爆売れ》お誕生日で“やわらかピンク”ペンをお持ちに…「売り切れで買えない!」にメーカーが回答「出荷数は通常月の約10倍」
NEWSポストセブン
王子から被害を受けたジュフリー氏、若き日のアンドルー王子(時事通信フォト)
《10代少女らが被害に遭った“悪魔の館”写真公開》トランプ政権を悩ませる「エプスタイン事件」という亡霊と“黒い手帳”
NEWSポストセブン
「性的欲求を抑えられなかった」などと供述している団体職員・林信彦容疑者(53)
《保育園で女児に性的暴行疑い》〈(園児から)電話番号付きのチョコレートをもらった〉林信彦容疑者(53)が過去にしていた”ある発言”
NEWSポストセブン
『見えない死神』を上梓した東えりかさん(撮影:野崎慧嗣)
〈あなたの夫は、余命数週間〉原発不明がんで夫を亡くした書評家・東えりかさんが直面した「原因がわからない病」との闘い
NEWSポストセブン
テレ朝本社(共同通信社)
《テレビ朝日本社から転落》規制線とブルーシートで覆われた現場…テレ朝社員は「屋上には天気予報コーナーのスタッフらがいた時間帯だった」
NEWSポストセブン
62歳の誕生日を迎えられた皇后雅子さま(2025年12月3日、写真/宮内庁提供)
《愛子さまのラオスご訪問に「感謝いたします」》皇后雅子さま、62歳に ”お気に入りカラー”ライトブルーのセットアップで天皇陛下とリンクコーデ
NEWSポストセブン
竹内結子さんと中村獅童
《竹内結子さんとの愛息が20歳に…》再婚の中村獅童が家族揃ってテレビに出演、明かしていた揺れる胸中 “子どもたちにゆくゆくは説明したい”との思い
NEWSポストセブン
日本初の女性総理である高市早苗首相(AFP=時事)
《初出馬では“ミニスカ禁止”》高市早苗首相、「女を武器にしている」「体を売っても選挙に出たいか」批判を受けてもこだわった“自分流の華やかファッション”
NEWSポストセブン
「一般企業のスカウトマン」もトライアウトを受ける選手たちに熱視線
《ソニー生命、プルデンシャル生命も》プロ野球トライアウト会場に駆けつけた「一般企業のスカウトマン」 “戦力外選手”に声をかける理由
週刊ポスト
前橋市議会で退職が認められ、報道陣の取材に応じる小川晶市長(時事通信フォト)
《前橋・ラブホ通い詰め問題》「これは小川晶前市長の遺言」市幹部男性X氏が停職6か月で依願退職へ、市長選へ向け自民に危機感「いまも想像以上に小川さん支持が強い」
NEWSポストセブン
割れた窓ガラス
「『ドン!』といきなり大きく速い揺れ」「3.11より怖かった」青森震度6強でドンキは休業・ツリー散乱・バリバリに割れたガラス…取材班が見た「現地のリアル」【青森県東方沖地震】
NEWSポストセブン