敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。
79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。
【書評】『瀬島龍三回想録 幾山河』/瀬島龍三・著/産経新聞出版(1996年8月刊)
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
繊維系商社だった伊藤忠商事を、総合商社へと躍進させた瀬島龍三は、昭和33年に一介の嘱託社員として入社している。
戦前、瀬島は陸軍はじまって以来の頭脳と称され、大本営陸軍部作戦課のエリート参謀として30歳そこそこで「全軍に関する作戦計画」を起案。天皇と同格の権限でもって大軍を動かしていた。
戦後、シベリアでの11年におよぶ抑留生活を経て帰国すると、経済界で頭角をあらわし、その企画力、調整力、組織運営能力を買われ総理の指南役となる。80歳を過ぎて、それまでの参謀人生を振り返り、語り下ろしたのが本書だ。
圧巻なのは、軍首脳たちが「『戦争計画』の検討・確立が不十分」なまま、「威勢がいいだけの意見」に引きずられ、「対米全面戦争」へとなだれ込んでいく暴走ぶりだ。
泥沼化した支那事変から抜け出すため、資源を求めてフランス領インドシナやオランダ領東インドへの進駐をはかった日本は、米英の経済封鎖に合い、石油の対日供給がストップ。「座してじり貧となり、結局はアメリカに屈服するよりも、進んで難局を打開する」との精神論に、軍ばかりか御前会議のメンバーである枢密院議長までが捉われてしまう。
戦争指導者たちの頭には、欧州戦線での独ソ戦によって、ソ連に攻め込まれる脅威が遠のいたとの思いもあった。「少なくともドイツ軍が敗れるような事態には至るまい」との「希望的・楽観的判断」が、「開戦を辞せざる決意」を御前会議で決定させた。昭和天皇に対米戦の「大作戦準備」を上奏した参謀本部の塚田参謀次長が、随員の瀬島にもらした言葉が、軍の愚かさを象徴している。
皇居から三宅坂の参謀本部に帰る車のなかで塚田次長は嘆いた。「瀬島、油のために戦争せねばならんのかなあ」。瀬島は「閣下、その通りですが……」と答えるのがやっとだった。勝算のない戦争を阻止しえなかった反省が、戦後の瀬島の復活に繋がっていたのだろう。
※週刊ポスト2024年8月16・23日号