敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。
79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。
【書評】『七三一部隊 生物兵器犯罪の真実』/常石敬一・著/講談社現代新書(1995年7月刊)
【評者】香山リカ(精神科医)
先の大戦では日本の医者たちも凶行に走った。その拠点となったのが、一九三六年から終戦まで旧満州(現中国東北部)ハルビンの郊外に拠点を置いた旧陸軍の通称七三一部隊だ。
本書は、生物兵器に詳しい科学史研究者が、戦後、ソ連などで公開された資料や元隊員へのインタビューなどの証言に基づいて七三一部隊で何が起きたのかを記したものだ。筆致は淡々としているのだが、ペスト菌を持つネズミの血を吸った「ペストノミ」を作り、「ノミだけではうまく目標地点に到達しない恐れがあり、また着地のショックを和らげる必要もあって、穀物や綿にまぶして投下した」といった“実験”の数々にまさに身の毛もよだつ。
ただ、七三一部隊の問題の根深さはこれにとどまらない。本書の「終章」は「戦後日本」というタイトルだが、驚くべきことに、これに加わった医者たちの多くは戦後の日本の医療界で重要な地位についたことが明かされる。著者は、「人の性格によって善悪がなされるのではなく、制度によっている側面がある」として決して個々の隊員を糾弾はしないが、それも「だからといって、個人の罪が免罪されるわけではない」とも言う。
またもっと大きな問題は、この七三一部隊の問題は日本では公に認められていない、ということにある。戦中のこの部隊への加担だけではなく、戦後、その存在を無視したという意味で、「日本の医学界は二重の過ちを犯した」とする著者の言葉は重い。
著者は言う。
「日本人一人一人は決して無責任でも、不道徳でもない。しかし国全体となると、どうしてこうまで無責任かつ不道徳になり得るのだろう。(中略)誠実な個人が集団で真面目に不道徳な国を作る、という構図になっているのはなぜなのか」
この問いかけを、私たちはいまも忘れるべきではない。とくに医者の私は、ひとたび歯車が狂い出すと一気に暴走する恐ろしさを忘れずにおこうと思う。
※週刊ポスト2024年8月16・23日号