敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。
79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。
【書評】『通訳者と戦争犯罪』/武田珂代子・著/みすず書房(2023年6月刊)
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
太平洋戦争とはどんな場だったのか? 翻訳通訳者の目から考えてみたい。戦場や戦時収容所で働く通訳者のことを想像したことがあるだろうか? 普段あまり意識されることのない存在だと思う。
『通訳者と戦争犯罪』は「従軍通訳者」に対象を絞った研究であり、通訳者の倫理と責任と保護について深く論じている。本書の調査によれば、太平洋戦争のBC級戦犯裁判における英軍裁判では、三十九人の通訳者が起訴されたという。従軍通訳者はときに、拷問などの違法行為に荷担させられるリスクがある。
敵方の言語を解さぬ者にとって、自分に直接話しかけてくるのは、敵軍の指揮官ではなく通訳のほうだ。そのため通訳を指揮官だと思いこむ者もいた。軍属あるいは臨時雇いの通訳が、軍人より上位に見える現象が起きる。それゆえ、通訳者が主体的に判断し命令して尋問や拷問を行っていると解釈され、軍事裁判での有罪判決につながったのである。
勘違いが起きるのも致し方なかった。通訳者も「日本軍の代理人という役割に自己を投影」し、司令部に成り代わって権力と脅威を示すよう求められたからだ。通訳の仕方が「女々しい」と叱責されることもあったという。
本書の著者は、通訳者の生い立ち、国籍、学歴、軍の成員なのか軍属なのか現地の臨時雇いなのかといった、通訳が成立するまでの経緯を緻密に洗い出している。太平洋戦争で武力抗争の最前線に晒され、拷問や尋問への荷担などの身体的な追加任務を課され、重刑や極刑に処されたのは、どんな人たちだったのか。
戦犯裁判では実に三十八人が有罪となり、九人が死刑に処されたことがわかる。死刑となった九人のうち、六人が日本軍で働いていた台湾人であった。たった今も、ウクライナやガザ地区で、身を引き裂かれながら命賭けで働いている通訳者たちがいるはずだ。
※週刊ポスト2024年8月16・23日号