敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。
79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。
【書評】『戦艦大和ノ最期』/吉田満・著/講談社文芸文庫(1994年8月刊)
【評者】平山周吉(雑文家)
たった一冊で、わかってたまるか。今号の企画を聞いての、私の偽わらざる感想である。書評メンバー全員を合わせても、たったの十二冊。これっぽちで「あの戦争」を知るのは無理筋だ。「あの戦争」が、いま語られていることで確定したわけでもない。依然として、大きな謎がいくつもある。何十、何百とある。
私は、本欄に書いた書評などを集めた『昭和史百冊』(草思社)というブックガイド本を、去年の夏に出している。「昭和史」となると、そのほとんどは「あの戦争」に関係する。「百冊」と銘打ったものの、実際に本を選び出すと四百冊以上にのぼってしまった。それでも実は足りなかった。あの本をうっかり忘れた。この本はまだ読んでいない。いやいや、読んでいない本の方が圧倒的に多い。
そこで考え直す。一冊だけを選ぶのは、実はとても簡単であった。何のひねりもない、模範解答になってしまうが、吉田満の『戦艦大和ノ最期』となる。東大法学部から学徒出陣し、海軍少尉として、帝国海軍の沖縄特攻作戦の任務につく。吉田少尉は旗艦「大和」の艦橋にあって、伊藤整一司令長官や有賀幸作艦長の傍近くで、作戦全体を見渡す立場にたまたまいた。
奇蹟的に生還した吉田に、「その経験を君はかならず書かなければならない」と強く勧めたのは近所に疎開していた作家の吉川英治だった。吉田はたった一日で本書の初稿を書き上げる。日本銀行の行員になった一青年の原稿を世に問おうと奔走したのは、批評家の小林秀雄だった(GHQの検閲で却下され、占領中は刊行できず)。
役者が余りに揃い過ぎているが、『戦艦大和ノ最期』には、派手さは一切ない。戦闘記録と艦内の様子が文語文で綴られる。学徒出陣組も海兵出身の職業軍人組も、司令長官の覚悟も少年水兵のいたいけな姿も、等しく記憶に残る。『戦艦大和ノ最期』は『平家物語』と並んで語り伝えられるべき本だ。
※週刊ポスト2024年8月16・23日号